ソクラテスは紀元前399年の本日4月27日、
親しい人物と最後の問答を交わしてドクニンジンの杯をあおり、
自決します。
その、思想や学術的行動に対して「神に逆らう」として裁判が行われ、
自分の行動に弁明せず死を選んだ訳です。
プラトンの「ソクラテスの弁明」はソクラテスの口述遺書、
彼の思想・スタイルが記されている訳ですが、
当時、賢人と呼ばれていた政治家や詩人、職人を訪ね、
「アポロンの宣託の通り自分が最も知恵があるのかどうか」
を検証する為の対話を行います。
結果、彼らの無知の無自覚と、無知を自覚している自分の優越性を確信、
使命感で質問を繰り返し、ソクラテスの賢者の評判が高まり、
無知を指摘される人が敵になってしまいます。
まあ、要約すると、学者やプロと言われる人々をいきなり訪問して、
答えに窮するまで質問攻めにして恨みを買うような
屁理屈おじさんだったと言う感じです。
池田晶子女史の著作「帰ってきたソクラテス」では
現代日本にソクラテスが降臨したらどうなるか、を
コメディタッチながら、素晴らしい表現力で記しています。
考えてみれば、辺り構わず人に質問して
揚げ足とっている偏屈な旦那がいたら、
奥さんのクサンティッペが世紀の悪妻と言われたのは、
ソクラテス自身にもそれを促進する要因があったに違いないと。
ソクラテスが言ったとされる
「ぜひ結婚しなさい。よい妻を持てば幸せになれる。
悪い妻を持てば私のように哲学者になれる。」の言葉を聞くと、
鶏が先か卵が先かの論争を思い出してしまいます。
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