昨今、西欧諸国において、死刑の廃止が謳われています。
しかし、アメリカのバージニア工科大学乱射事件やノルウェー連続テロ事件などから
快適な刑務所生活を送る犯人がネットに挙がるたび疑問が投げかけられるのも事実です。
AFP通信によると、オウム真理教の元幹部ら13人の死刑が今月執行されたことを受け、
作家の村上春樹氏が毎日新聞に寄稿、村上氏は自身について一般的には
「死刑制度そのものに反対する立場」だとした上で、
1995年に起きた地下鉄サリン事件の被害者らへのインタビューをまとめた
「アンダーグラウンド」を執筆する過程で事件の被害者や遺族の苦しみに触れた体験から、
「『私は死刑制度に反対です』とは、少なくともこの件に関しては、
簡単に公言できないでいる」と発言されたそうです。
その一方、村上氏は死刑執行によりオウム関連の事件が終わるわけではないと指摘、
今回の執行に「事件の幕引きにしよう」という意図や
「死刑という制度をより恒常的なものにしよう」という思惑があったとすれば、
「そのような戦略の存在は決して許されるべきではない」と断じているそうです。
これは不思議な論調ですね、この話の筋から行くと死刑反対ではなく、
死刑は犯罪の大きさによって可能と捉えられます。
多分、この言葉尻からまだ迷った上での言葉でしょうが、
そんな中途半端な事なら発言しなければよかったと思います。
もし、取材対象に限った事であれば、もっとひどい考え方に思えます。
実際に取材しなければ、被害者の苦しみを想像できないような人物が
ノーベル文学賞どうのこうの言う事自体、問題外だと思います。
記事の最後の「事件の幕引き」や「死刑制度の恒常」発言は
自分の「死刑反対公言できない」発言の矛盾に対する
正当化に付け加えたように見えて非常に見苦しく思えます。
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