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2018年07月13日15:02

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意図的省略

水害のあと、インターネットでのデマ騒ぎが問題になっています。

そう騒いでいるマスコミ自身もインターネットからネタを拾って誤報を流す

本末転倒的な事件も発生しているようです。

今から150年前の1868年、スペインでは王位継承問題発生していました。

9月に非民主的な当時の政権に対し、フアン・プリム将軍が武装蜂起すると、

政権への不満は各地の蜂起を促し、革命は全土に波及します。

女王イサベル2世は王室財産の不正利用で軍隊の支持も失い、

第二帝政下のフランスへと亡命します。その後スペインでは、1869年1月に

初の普通選挙が実施され、6月に憲法が発布、政体は立憲君主制に移行。

その後も混乱が続き、蜂起なども発生したため、新政府は体制安定のため

新国王の選出が急務でした。

1870年、フランス亡命中のイサベル2世は、息子のアルフォンソ12世に王位を譲渡、

しかし、フアン・プリム将軍はこれを認めず、混乱します。

継承候補者として、ホーエンツォレルン家の本家筋で宗教改革後もカトリックに留った

ホーエンツォレルン・ジグマリンゲン家のレオポルトの名前が挙がり、

プリムやビスマルクもこれを推薦。

しかしフランスは自国がホーエンツォレルン家の王を戴く国家に挟まれることを危惧、

プロイセン王ヴィルヘルム1世に翻意を求めた。

ヴィルヘルムはもともと執着なく、レオポルト自身気乗りがしていなかったので

7月12日にレオポルトは正式に王位を辞退。

この譲歩で平和的に解決した様に見えました。

あくまで干渉の権利を有すると信じるフランスは、王位辞退だけでは満足できず、

将来に渡ってスペインの王位候補者をホーエンツォレルン家から出さないとの約束を

ヴィルヘルム1世に求めるため、150年前の本日、1870年7月13日、

ドイツ西部の温泉地バート・エムスで静養中のヴィルヘルム1世に大使を派遣。

フランス大使は国王に会見を求めたが、既に王位辞退という形で譲歩を行っていた国王は

無礼な要求としてこれを拒否し、ベルリンのビスマルクに事の経緯を打電します。

ビスマルクは、国王から電報を政治的に利用、電報の一部を意図的に省略、

非礼なフランス大使が将来にわたる立候補辞退を強要し、それに立腹した国王が

大使を強く追い返したように文面を編集、7月14日に新聞や各国へ向けて公表します。

文章の省略によって国王の大使への拒絶は強調され、さらにビスマルクが故意に

事実と異なった状況説明を行ったため、くすぶっていたフランス・プロイセン両国の世論は

一気に戦争へと向かいます。これをエムス電報事件といいます。

翌朝の新聞報道を読んだヴィルヘルム1世自身が「これは戦争だ」と驚く始末。

戦争を求める強い世論にフランスは7月15日に開戦を決定し、

7月19日にプロイセンに宣戦を布告、普仏戦争が始まります。


これは、マスコミが戦争への誘導に利用された事件ですが、

この時代結構ある話で、日露戦争などもマスコミの煽りが大きく絡んでいます。

案外最近の日本では、TBSの『サンデーモーニング』で、石原慎太郎知事の

「私は日韓合併を100%正当化するつもりはないが、」という発言部分を

テロップで「100%正当化するつもりだ」という正反対の表示で報道します。

時代によっては戦争を誘発させかねない捏造を流すと言うのは、

この事件と非常に似たケースですが、捏造を行ったのがトップの政治家ではなく

中間のマスコミである点が恐怖を感じさせます。

この捏造を真っ先に見破ったのがネットと言う皮肉な展開になってしまい、

マスコミの信用度は地に落ちます。

エムス電報事件の様な教訓的な先例があるにもかかわらず、

ネットや本人の抗議で心理が明らかになるのが目に見えているにもかかわらず、

現代でもまだ、こんな報道をするマスコミの神経を疑います。
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