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2021年05月06日05:14

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仁を修める「僻む」

仁を修める「僻む」

僻む(ひがむ)。他人の成功や幸福を観て、僻み、妬む人間は少なくはありません。人間、誰しも僻みや妬む心を持つことはあります。

その度合いとその僻みや妬みの言動で、人間としての徳性が観えます。いつも他人の成功や幸福を僻む人間は、学ぶ好機を逃し、自分自身の成長を止めています。

他人の成功や幸福までの過程を学び、自分自身が歩む人生の肥やしにすれば、大いに役立つものですが、僻む人間はそこから学ぶことをしません。

しかし、何も学ぶことなく、ただ僻む、妬む。僻む人間と学ぶ人間には大きな心の差が生じます。僻む、妬む心を観て、その心から学ぶことを得る修養。

時間は掛かるかもしれませんが、本来人生を平安で過ごしたいはずです。

学ぶには心の質量が関係します。心の器が小さい人間は、その器には自分自身のことしか入りません。心の器が大きい人は自分を含め、他の人も入ります。大きければ大きいほど大勢の人が入り、多くの事を観ることが出来ます。

自分の心を観るには「僻み」「妬み」「恨み」などの悪心を確かめることです。それで心の質量がわかるはずです。

でも、人間ですからそれらの感情も起きます。ただ、それを口にするかしないかで人徳が観えます。

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心学者 仁学者 円 純庵オフィシャルブログ「心を円やかに」

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