仁学「老年期」
老年期になって他人の悪口や批難をしている人間を見掛ける。本来ならば、長い人生多くの問題を乗り越え、角が削られ、丸みを帯びているはずが、刺々しい態度をとって嫌がられている。
本人が人生を通して、仁徳を積み、円やかな人間創り、自分創りを心掛けて生きて来たのかだけの違いである。
その意識がない人間は歳を取っても心は成長することもなく、若い世代と同じ心質。学問を通して、「徳・仁・義・礼・智・信」を修める意識もなければ、人の迷惑などもお構いなしの人間。
若い世代の人間ならば許される範囲ではあるが、壮年期や老年期になっても、まだ悪口や誹謗中傷を平気で吹聴している相は一種の惨めさを感じる。
老年期はいつも笑顔で、言葉に栄養があり、迷いや悩みなどに適切な助言を与え、大勢の方に好かれる人間。本人はその意識がなくとも、心の中から自然と滲み出るような徳性ならば実に素晴らしい人生である。
学歴や経歴ではなく、心の中から感じるものこそ、本当の徳人であり仁者である。無理してその人格にならなくとも良いが、若い頃や壮年期に目覚め、心の修養に励んだ人間は人生の最期に自分の幸福感を得ることができる。
時間の流れや歳の重なりは人格と比例しない。老年だから人間ができているわけではない。高学歴だから良い人格、徳人や仁者とは限らない。日々の修養こそが仁徳の基本である。
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心学者 仁学者 円 純庵オフィシャルブログ「心を円やかに」
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