仁学「生意気」
生意気な人間はいつの時代でもいる。青少年期ならまだ仕方ないが、ある適度の歳になっても生意気な人間、周囲に嫌われている方が多い。しかし、本当は「生意気」ではない。
若い頃は生意気だったが、その後、生は腐り始め生ではなくなる。普通の人間になって生は消えて終わる。
しかし、壮年になっても生意気に思える言動を取っている人間は生意気ではなく、既に腐った意気になっている。生はそのままに放置すれば腐り始める。
それ故に若い頃の「生意気」より癖が悪い。生意気ではなく「腐れ意気」になっている。自分自身に生意気な感情があるならば、要注意。
他人は「腐れ意気」と感じている。壮年期や老年期の生意気はただの生意気とは思われないので、腐れて臭いがしないように人徳を高め、自分自身の言動に徳性を持ち、周囲の人間にも喜ばれ、頼られる人間になるように日々の修養に励むこと。
自分では「生意気」の新鮮さが消えて、腐っていることに気がつかないので、余計な言動を慎む方が良い。仁徳のない説教や小言は特に要注意。
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心学者 仁学者 円 純庵オフィシャルブログ「心を円やかに」
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