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2019年08月23日03:21

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アインシュタインに沈められた対馬丸

まあ、アインシュタインが潜水艦にのって対馬丸を攻撃したわけではないが、対馬丸を沈めたアメリカ軍の魚雷は開戦当初は命中しても信管の不良によって爆発しないことが多数あった。

対馬丸轟沈の一年前1943年(昭和18年)6月5日、対馬丸は潜水艦のティノサの攻撃を受けた。その時はが魚雷を2本発射して対馬丸に魚雷1本が命中するも、幸いにも魚雷は不発に終わった

ティノサは、その前年に日本のタンカー 第三図南丸も攻撃している。

15本の魚雷を発射しそのうち12本が命中したが、魚雷の信管の不良のため、爆発したのは2本のみで残りの10本は不発だった。

アメリカ軍が当時使っていたマーク14型魚雷は触接信管は構造変化によって強度不足が悪化しており、命中しても簡単に動作不良を起こして不発する自体が多発した。

その後、アメリカはアインシュタイン博士をアメリカ海軍省兵器局の顧問に招き、魚雷の起爆装置の改善した。

これらの改善が行われたことにより、米海軍は開戦1年半を経てようやく問題が無い潜水艦魚雷を使えるようになった。後に米海軍の潜水艦部隊が通商破壊戦に力を注いだこともあって、最終的に日本商船およそ400万トン以上を沈めるなど大きな打撃を与えた。

その400万トンの商船の一隻が対馬丸である。
アインシュタインが改良した魚雷によって対馬丸は多くの学童を道連れに海の藻屑となった。

なお、対馬丸を撃沈したボーフィンは1981年(昭和56年)以来、「真珠湾攻撃の復讐者」として真珠湾の戦艦アリゾナの近辺にボーフィン・サブマリンミュージアム&パークとして展示されている


歴史にIFはありませんが、もしアインシュタインが魚雷の起爆装置の改良をアドバイスしなければ、せめて魚雷の改良が一年遅れていたら、対馬丸に命中した魚雷の何本かは不発して助かったかもしれません。


アインシュタインは後年、広島や長崎への原爆投下を後悔したそうですが、彼のアドバイスによって改良された魚雷が、対馬丸を始め、多くの日本の商船・軍艦を沈め、原爆以上の命を奪ったことは知っていたのであろうか?

原爆での犠牲者は

死者:長崎…70,000人・広島…140,000人、合計210,000人
重軽傷者:長崎…75,000人・広島…83,000人、合計158,000人
死傷者合計:長崎…145,000人・広島…223,000人、合計368,000人

と言われています。

それに対し、アメリカの潜水艦作戦で沈められた日本の商船団は600万トン 撃沈された船数およそ2500隻。

戦死した船員6万人 乗船していた軍人・民間人などを入れると約25万人が海の藻屑となり亡くなられたと言われている。


もちろん、広島や長崎の被爆者の中には放射線障害を患い、何年後にも苦しんでお亡くなりになられた方も居るだろうが、直接死亡した人数で比べると広島・長崎の犠牲者を上回る方々が、アインシュタインが改良した魚雷によって命を失ったとも言えるのです。


https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5758060
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