沖縄の戦いは多数の民間人の犠牲者も出て、マスゴミは『民間人を巻き込んだ唯一の地上戦』と称することが多いが、満州や千島での戦いも多くの民間人が犠牲になった戦いである。
アホのマスゴミやパヨクが『日本は唯一の被爆国』と言うが、『戦争での被爆国』と言うのが正しく、中央アジアや太平洋の島々・北極海などで米ソ英仏中印パの核実験での被爆地・被爆国はたくさんある。
おなじく、民間人が地上戦に巻き込まれたのは、サイパンテニアンの戦いでも『バンザイクリフ』の悲劇もあるし、先日、NHKが放送したドラマ「マンゴーの樹の下で」でも在フィリピンの日本の民間人も犠牲になられたし、フィリピンの民間人も多く犠牲になられた。(ちなみにフィリピンの戦いはマッカーサーの個人的功名心で行われたもので、アメリカ海軍の戦略では、フィリピンは素通りして沖縄を攻略する予定であった)
原爆投下もフィリピンの戦いも、日本を降伏させるという目的で行われたのではない。
また、日本の降伏が目前になってからのソ連の対日参戦はだまし討ちであり、真珠湾攻撃をアメリカが批判する以上に、日本はソ連を批判して然るべきである。
74年前の本日、北海道、留萌市沖で樺太から疎開してきた民間人多数を乗せた輸送船「小笠原丸」「第二号新興丸」「泰東丸」が留萌沖でソ連軍潜水艦に攻撃され、1708名の死者と行方不明者を出した(三船殉難事件)。
虎頭要塞の戦い
1945年8月8日のソ連対日宣戦布告及び8月9日未明の侵攻開始により、虎頭要塞の第15国境守備隊と侵攻してきたソ連軍の間で戦闘が勃発。守備隊長・西脇武陸軍大佐は第5軍司令部に出張中で帰隊が不可能なため、砲兵隊指揮官・大木正陸軍大尉が守備隊長代理として指揮を執った。周辺地域から、多数の在留民間邦人も要塞に避難し、計約1,800人が籠城することになった。九〇式列車加農は通化への移動のため分解されており砲撃を行うことができなかったが、四十一糎榴弾砲はシベリア鉄道イマン迂回線の鉄橋を砲撃し、さらに砲身が射耗するまでソ連軍に砲撃を続けた。
守備隊は絶望的な状況の中、8月15日に玉音放送を聞いたが謀略とみなす。17日、捕虜となっていた日本人5人が、ソ連軍の軍使として日本政府の無条件降伏を伝え、武装解除に応じるようにとの停戦交渉を行うが謀略として拒否、守備隊将校の1人が軍使の1人であった在郷軍人会の現地分会長を斬殺する。その後も戦闘が行われ、8月26日に本要塞は陥落した。生存者はわずか50名ほどだった。10倍以上の戦力で攻勢をかけたソ連軍を相手に2週間以上にわたり防衛戦を行った虎頭要塞の戦いは、第二次世界大戦最後の激戦とされている。
対馬丸撃沈75年、那覇で慰霊祭
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5757458
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