mixiユーザー(id:1525854)

2018年09月05日11:21

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有名なテレビドラマ『私は貝になりたい』も、ある陸軍軍人の手記のパクリみたいですね。

劇中の主人公の遺書が、元陸軍中尉で自らも戦犯として裁判を受けた加藤哲太郎の手記「狂える戦犯死刑囚」[15]の遺言内容と酷似していた。それを友人から伝え聞いた加藤は、ドラマの脚本を執筆した橋本に対して自分の原作権を認めるよう求めたが、橋本はこれを拒否。そこで加藤は、ドラマの映画化(1959年版)が決まった際、配給元の東宝と、自分が原作者としてクレジットされることを条件に契約し、橋本もこれを受諾した。

ところがラジオ東京テレビ(2013年現TBSテレビ)がクレジットを改めずにまたドラマを再放送したため、加藤は当時のラジオ東京テレビと橋本を著作権法違反で告訴した。この裁判で[16]の結果、加藤の訴えは認められた。そのため2013年現在では題名および遺書の原作者として「加藤哲太郎」の名がクレジットされるようになっている。なお、加藤自身も主人公同様に戦犯として巣鴨プリズンに勾留、死刑判決を受けているが、後に再審の末、減刑されて釈放されている。

のちに中野昭夫がドラマの原案者は自分であるとして、橋本を相次いで訴えた。しかし、1975年(昭和50年)に東京地方裁判所で敗訴した損害賠償などの請求をはじめ、ことごとく敗れている。

『狂える戦犯死刑囚』との異同
以下は、加藤が志村郁夫名義で『あれから七年――学徒戦犯の獄中からの手紙』(1953年、飯塚浩二編、光文社)に寄稿した「狂える戦犯死刑囚」の一部である。ドラマで削除された部分は削除線、変更された部分は下線で示す。ただし、漢字やカタカナの使い分けなど、細かい異同は除いた。また、この手記での遺書は衛生兵であった赤木曹長のもの、という設定(モデルはいたが、ぼかしてフィクション仕立てにしたもの[17])になっており、一介の二等兵であった豊松の設定と異なる。現実には、二等兵で死刑が執行された戦犯はいないとされる[18]。

けれど、こんど生れかわるならば、私は日本人に生まれたくはありません。
いや、私は人間になりたくありません。
(この間加筆挿入)
牛や馬にも生れません、人間にいじめられますから。
どうしても生れかわらなければならないのなら、私は貝になりたいと思います。
貝ならば海の深い底の岩にヘバリついて何の心配もありませんから。
何も知らないから、悲しくも嬉しくも痛くも痒くもありません。頭が痛くなることもないし、
兵隊にとられることもない。戦争もない。
妻や子供を心配することもないし。
どうしても生まれかわらなければならないのなら、私は貝に生まれるつもりです

— 加藤哲太郎(志村郁夫名義)、『あれから七年――学徒戦犯の獄中からの手紙』(1953年、飯塚浩二編、光文社)


太田市長「お粗末」発言に弁明
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5274741


お粗末な発言の謝罪に『私は貝になりたい』など抜かしたバカ市長は、口を開きたくないなら辞職しろ。そして加藤哲太郎さんの墓前で土下座しろ!
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