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2018年01月27日23:06

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この装甲車ではないが、旧ソ連製のBMP-1装甲車は後部ドアに燃料タンクが設置されており、被弾すると容易に炎上した。

斬新なコンセプトを持つBMP-1だったが、初の実戦運用であるアフガニスタン侵攻では少なからず問題を露呈した。操縦手席の後ろの車長席は分隊長席となったが、下車時に車体の上から降りた場合は狙撃される確率が高くなり、また砲塔に搭乗した車長が1人で指揮と砲手任務を熟すのは無理があるので、再び元の座席配置に戻された。兵員は、後部の観音開き式ドアか上部ハッチから乗降するが、両方とも狭く、特に重量がある後部ドアは開閉に力を要し、かがむように乗り降りしなければならなかったため乗下車に時間がかかり、戦闘時に降車する場合の兵員被弾率は高くなってしまった。

また、燃料タンク兼用の後部ドアは被弾時に簡単に引火した。これに対応するために、一定以上の衝撃が加わると自動的に後部ドアを車体から切り離す機構が追加で装着されたが、ドアからの燃料配管の遮断バルブの作動が不完全なことが多く、タンク内に燃料が入っている場合には却って燃料を車内に撒き散らし、そこに着火して一挙に車内が炎上した上に兵員室の仕切りの燃料タンクに誘爆して車体が火だるまになるという最悪の結果を多発させた。燃料として使われる軽油は、ガソリンに比べ引火点が高く炎上しにくいといわれるが、榴弾の爆発で発生する高温により着火してしまうため、第二次世界大戦当時からディーゼルエンジン搭載のソ連製戦闘車輌が多数炎上して失われている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/BMP-1

また第四次中東戦争開戦時までにエジプト軍に230輌、シリア軍に150から170輌(うち前線への配備は100輌ほど)が引き渡され実戦参加したが、従来のソ連軍装甲戦闘車輌に比べ機構が複雑で、乗員の練度不足が原因で戦闘損失より故障による放棄車輌が多かったという。このためイスラエルが捕獲したBMP-1は、合計100輌以上が修理により再生可能であった。

防御力においては、車体サイズのわりに重量が軽いことにより当初より疑問符がついていたが、RPGの直撃に耐えられないのはもちろん、車体上部のエンジン区画や兵員室側面の銃眼付近の装甲は、イスラエル軍やゲリラ側が使う12.7mm重機関銃や14.5mm対物ライフル程度にも貫通されることがあった。そのため、次期モデルのBMP-2を含めて該当部位にボルト止め増加装甲が取り付けた車両も多数存在する。また中東の炎天下では密閉した車内が高温となるため、常にハッチを開けたまま行動する車輌も多く、被弾時の損害をより大きくした。

主兵装の73mm低圧滑腔砲から発射される砲弾は、低速で横風の影響を受けやすいため500m以上の命中率は50%と著しく低く、最大射程1,500m程の重機関銃にアウトレンジされる始末であった。また、主砲の仰角が33°までしか取れなかったため、近距離で高所に陣取る敵には効率の良い攻撃が不可能だった。対戦車ミサイル9M14 マリュートカの再発射には、停車した状態でわざわざ砲塔から砲手が身を乗り出して飛翔体をレールに装填した上で4枚の翼を取り付ける必要があった上、9M14 マリュートカの飛翔速度は遅く、発射時には大量の噴煙を出すため、位置を露呈させることになった[2]。こうした武装を有する低平な砲塔を操作するのは1名のみであり、砲手の負担も大きかった。こうした問題から、高角度への有効な攻撃手段を確保するために現地改造で砲塔の9M14 マリュートカ発射機をAGS-17自動擲弾発射器に取り替えたり、兵員室の屋根に2B9自動迫撃砲を装着したりして対応した。

試作車両に比べて拡大したとはいえ、全高が2mに満たない兵員室は窮屈で、長時間車内に搭乗することが苦痛であった。さらに、ベトナム戦争におけるアメリカのM113同様に、地雷により車内の歩兵に大きな損害が生じたため、実戦においては兵員は砲塔後方に跨乗して、アフガンゲリラが攻撃してきたら散開して反撃するという、本来の「装甲に守られた状態で乗車戦闘を行なう」というコンセプト自体が消えうせてしまった[2]。

BMP-1は画期的な車両ではあったが、高価すぎてソビエト軍でも配備がままならず、従来の装甲兵員輸送車と並行して装備されることとなった[2]。また、先述したとおり問題が続出したため、後継のBMP-2では、砲塔が車長と砲手の二人用に大型化、後部ドアの燃料タンクの廃止、対戦車ミサイルを9M14から9M113 コンクールス(「競技会」の意)(NATOコードネーム:AT-5 スパンドレル)へ換装する、などの改善が試みられたが、ヨーロッパ地域での西側陣営との機甲戦を想定して設計されたために、抜本的な見直しにはBMP-3の登場まで待つ必要があった。

BMP-1は、ソ連の友好国に対する輸出も行われ、現在でも旧ソ連諸国など、多くの国で現役である。1980年代に入ってからは中国でコピー生産も行われている。アフガニスタンにおいて本車を鹵獲したムジャーヒディーンは砲塔を撤去してZU-23-2対空機関砲を搭載した現地改造型を製作しており、ソ連軍との戦闘やソ連軍撤退後のアフガニスタン内戦において使用している。


自軍の装甲車を全焼! ロシア軍“マヌケ兵士”の半泣き動画が話題に
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=53&from=diary&id=4960827
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