mixiユーザー(id:1525854)

2018年01月27日15:16

1950 view

北朝鮮の工作船の追跡や引き揚げに反対した、北朝鮮の走狗=野中広務

能登半島沖不審船事件(のとはんとうおきふしんせんじけん)は、1999年(平成11年)3月23日に発生した、北朝鮮の不審船による日本領海侵犯事件と、その逃走時に生起した海上自衛隊および海上保安庁による追跡行の一連の行動を指す。

海上保安庁は、巡視船艇15隻および航空機12機を動員し[1][2]、追跡は夜までおよんだが不審船は停船せず、挑発するように逃走を続けた。18時10分には首相官邸別館にある危機管理センターに官邸対策室が設置された[5]。

19時になると不審船は24ノットに増速、19時30分には28ノットとなったため、PC型の「はまゆき」「なおづき」が引き離され始めた。その報告を受けると、川崎二郎運輸大臣は威嚇射撃を許可し、第九管区海上保安本部(新潟)に通知した。

20時過ぎ、第九管区海上保安本部長が海上保安庁法第二十条に基づく威嚇射撃を指示。「みょうこう」から照らされたサーチライトが光る中、20時頃より「ちくぜん」が「第二大和丸」の傍の海上に向かって20mm機関砲で曳光弾を50発発砲[2]、1953年のラズエズノイ号事件以来46年ぶりとなる警告射撃を行った。20時24分と21時1分ごろには、「はまゆき」も13mm機銃で計195発を射撃した[2]。また、「第一大西丸」に対しても、「なおづき」が9丁の64式小銃で1,050発(うち曳光弾が500発)もの威嚇射撃を行った[2]。不審船は威嚇射撃に反応したためか、35ノットに増速して逃走。燃料不足もあって「はまゆき」「なおづき」は追跡を断念、また、速力差もあり、20時14分には「第一大西丸」、21時12分には「第二大和丸」が巡視船のレーダー探知距離外に離脱した

特に「第一大西丸」は護衛艦「はるな」のみの追跡となった。官邸対策室ではこれを受けて海上警備行動発令へと傾いたが、親北朝鮮派である野中広務内閣官房長官が発令しないよう官邸に圧力をかけ、官邸も一旦は追跡打ち切りの方向へと向かっていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/能登半島沖不審船事件

九州南西海域工作船事件(きゅうしゅうなんせいかいいきこうさくせんじけん)とは、2001年(平成13年)12月22日に東シナ海で発生した北朝鮮の工作船である不審船の追跡事件である。不審船は海上保安庁の巡視船と交戦の末爆発、沈没した

奄美沖で北朝鮮の工作船が自爆沈没した事件では、自由民主党所属(京都府内選挙区選出)の国会議員で、北朝鮮や中華人民共和国に忖度した姿勢を見せることが多かった野中広務や、一部の左派マスメディアの間では、北朝鮮に対する「配慮」と、沈没地点が中華人民共和国のEEZ内であったことから、沈没船体引き上げに対する反対意見を表明していた。


https://ja.wikipedia.org/wiki/九州南西海域工作船事件

「市民運動家」を自称する和田春樹は「漁業法違反」という名目での初動捜査や、まだ工作船から武力攻撃を受けていなかったにもかかわらず「先制攻撃的」に船体射撃を行ったことを、「法解釈の間違い」や「違法な戦闘行為」と主張した[8]。また、左派系日刊紙の「朝日新聞」の小池民男は、1月6日の天声人語において、「明らかに風邪と思われる症状が多数出ていても風邪と断定できないように、沈没したのは『不審船』と断定はできない」とした。


■野中氏、反戦・反差別訴え「一番まずかったのは安保法」
(朝日新聞デジタル - 01月27日 07:12)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4961011
8 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年01月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031