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2015年05月17日22:41

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アンドレア・バッティストーニ 東京フィル プッチーニ「トゥーランドット」(演奏会形式)

(5月17日 オーチャードホール)
 バッティストーニの統率力がいかんなく発揮された壮大な演奏だった。バッティストーニは東京フィルから輝かしく余裕のある金管をはじめ、弱音と低音の柔らかさと美しさの際立つ弦、ティンパニに客演首席奏者のミハエル・クロウティルを迎えた打楽器まで、これが日本のオーケストラかと思わせるスケールの大きな響きを引き出していた。
 そして新国立劇場合唱団も明確な発語、弱音からフォルティシモまで芯がしっかりとした合唱を聴かせ、オーケストラとの一体感をつくっていた。
 バッティストーニの指揮のすごさは、ピアニシモの繊細さから、クライマックスの大音量まで、どこにも無理がなく音楽を壊さないこと。どの音にも音楽の力がみなぎっており、音楽が奔流のようにあふれだしてきて、どこまでもつきることのない喜びが永遠に続くのではないかと思わせる豊かな音楽性に心底驚かされる。レスピーギのローマ三部作で、聴衆のど肝を抜いたバッティストーニの指揮を、また今日はオペラの場面で味わうことができた。
 トゥーランドット役のティツィア・カルーソーはオーケストラの咆哮にも負けない強靭な声。すこし粗いところもあるが、その容貌立ち居振る舞いも含め、トゥーランドット姫の性格を表すにはふさわしいものがあった。
 カラフ役のカルロ・ヴェントレは好演と言うべきか。「誰も寝てはならぬ」のソロではバッティストーニもオーケストラを止め、拍手喝さいを受ける時間をとっていた。
 リューの浜田理恵も熱演。第1幕「お聞きください、王子さま」ではバッティストーニと東京フィルが絶妙のピアニシモで盛り上げた。
 演奏会形式だが、左右二階のバルコニーに官吏(久保和範:バリトン)やアルトゥム皇帝(伊達英二:テノール)、首切り役人(古賀豊:演技)を立たせ、自害したリューが客席に降りて去って行くという演出もあった。
ほかにティムール(斉木健詞:バス)も印象に残った。
 今回アルファーノ補作第2版を使用した大団円では場内の照明が明るくなる。
Gloria!(栄光あれ)と歌う大合唱とオーケストラの総奏の信じられないようなすさまじいエネルギーと演奏者たちの集中力はひとえにバッティストーニの圧倒的なカリスマ性がもたらしたものと言えるだろう。

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