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2019年09月20日14:26

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第19回丹後100キロウルトラマラソン

9月15日、丹後100キロウルトラマラソンを走りました。

100キロの大会に出るのは2度目。昨年初めて100キロ走った四万十川ウルトラマラソンは残念ながら今年は抽選落ち。他のフルマラソンでも落選が続いたこともあり、ここで走ってしまえと勢いでエントリーしました。

四万十川と比べると季節も1か月早く、コース高低差もかなりあって、両大会を同列に見てはダメということはわかっていましたが、当日はその想像を遥かに超える過酷さを味わうことになりました。

今回の大会はスタートまでに色んな心配事を抱えました。
8月下旬に腰痛が再発、大会1週間前の練習後に左膝の膝蓋靭帯炎、大会前日には苦手の車中泊で結局一睡もできず。左膝は結局テーピングとサポーターのダブル使用で固定し、あとはもうなんとかなるさでスタート準備に入りました。

スタート時刻は早朝4時30分。それに合わせて午前0時30分には睡眠を諦めて体を起こし、身支度を始め、午前1時30分に用意された駐車場に移動。とにかくできるだけ炭水化物を食べ、午前2時過ぎにシャトルバスでスタート会場へ。荷物を預け、補給と給水で満腹状態にして午前4時にスタート地点に並びます。食べ過ぎて少し気持ち悪い。それに今になって睡魔がジワリ。足腰の不安も相まって、テンション低めでのスタート待ちになりました。

予定通り4時30分号砲。号砲からスタート地点まで1分。ウルトラなので、夜明け前の暗闇をゆっくりと歩を進めます。
なお、この大会は道路を封鎖する大会ではなく、通常通り車の通る中、左側の歩道や車道隅をコースとして走ります。当然、信号も守る必要があり、タイミングによってランナーストップの指示があります。
なのでコースの道幅は決して広くはないのですが、まだ夜明け前のため、ほぼ車もなく、少々広く道を使える今のうちに自分のペースに応じた集団位置まで前に進みました。
腰の調子も、左膝の調子も幸い気にならず、最悪の展開は回避できそうです。

スタートからすぐ上り坂に入り、10キロあたりまで七竜峠のタフなアップダウンを超え、久美浜を1周します。上ったり下ったりの続くコースでも比較的フラットなこの久美浜で、およそキロ5分から5分10秒前後で無理なく刻めることができ、思いのほか順調な序盤でした。

日が昇って徐々に気温も上昇。順調であった久美浜1周も終わり、35キロ過ぎからまた七竜峠を今度は逆ルートでおよそ10キロのアップダウン。その途中でフルマラソン42.195キロ地点を通過。腕時計で大体3時間46分位。峠越えの往復で少し両腿前面に張りが出てしまっていましたが、まだ走れる脚はある状態でした。

しかし、その頃から気温の上昇が無視できなくなり、日陰も少なくなって、暑さで体の芯から力が抜けていくような感覚が出始めました。ペースの維持が徐々に困難になってきたため、エイド毎に必ずかぶり水を行い、氷があれば分けてもらい、手持ちのバンダナで包んで首の後ろに括り付ける等、エイドでの時間の使い方を端折らず、身体の冷却のための対策を優先して講じました。

余裕の無くなってきた54キロ地点の弥栄地域公民館のエイド。ここでは各自着替や補給食用の指定袋をスタート前に預けることができ、私自身も自分なりの補給食を多く用意していたため、イスで足を休めながらゼリー系、粉末系の補給食を複数個、胃に詰め込み、エイドでバナナや小さなおにぎりも食べ、給水、かぶり水、氷を包んだバンダナを首に巻き、たっぷりと時間を使ってリスタートしました。

でも暑い。相当暑い。灼熱と言っていい。両太腿前面の張りによる痛みも強まり、身体の消耗が激しい。これからは記録よりも100キロ完走を最優先に考えることに決めました。

60キロ手前から70キロ過ぎまで、コース最大の難関「碇高原」の急坂がやってきました。
既に暑さにやられて体は悲鳴を上げていましたが、何とか少しずつ刻むように坂を上り始めましたが、勾配も厳しくなり日陰もなく、終わりの見えない果て無き上り地獄に屈し、遂には走るのを諦めて歩いて上り始めました。でも歩いても辛いほどの勾配。数キロごとにあるエイドで命の水と氷をいただきながら絶望的な気分でまた歩き続けます。

暑さと疲労で朦朧とする中で71.8キロの碇高原管理事務所のエイドに到着。やっと上りが終わった。高原だけあって、ほんの少しだけだけど涼しい。
ここでもデポジット用の袋を預けていたため、ここで上着だけ着替え。ほんの少しだけ気分転換し、十分に補給と給水をして出発。水を飲み過ぎて吸収しきれずお腹がタプンタプン。これ以上無茶飲みすると吐く羽目になるので、氷を口に含む等で対策しました。
苦労して上った高度の分、今度は長い長い下りが10キロ弱ほど続きます。ここも辛い。上りの苦しさとは違って下りは脚への衝撃が大きい。両太腿前面の張りがはっきりと痛みとなって一歩着地するごとに襲い掛かってきました。脚が破壊されるような感覚。痛みに耐えながらようやく下りきった時、また灼熱の世界が待っていました。そしてこのコースの本当のエグいのは碇高原を下りきってからゴールまでの20キロにありました。

ラスト20キロは小さなアップダウンのひたすら繰り返し。でも決して楽をさせてくれません。しかも真昼間で太陽は真上。暑くて暑くて、もうここからはエイドからエイドをさ迷い歩くゾンビと化していました。とにかくキツくて、両太腿前面の痛みもさらにひどくなり、上り坂はほぼ歩きました。中盤以降、ずっとエイドでかぶり水をしていましたが、注意散漫になっていてシューズにも水がかかってしまい、靴下の中の足もふやけて水ぶくれができ始めていました。このあたりから60キロ出場者と混走となるのですが、まだ脚に力の残っている60キロ出場者にどんどん抜かれていきます。

1キロ1キロが途轍もなく長く感じられました。「ゴールまで3キロ」の看板をぼんやり見たときも、もうすぐゴールだというより、まだ3キロも続くのかと感じられるほど追い詰められた状態でした。

ゴール直前はそれでも少しだけ力を振り絞ってペースを上げて、帽子をサングラスを取って目を固く瞑って歯を食いしばりながらのゴールとなりました。

グロス:10時間25分42秒
ネット:10時間24分43秒

去年の四万十川ウルトラマラソンより1時間以上遅い記録となりましたが、本当に精魂尽き果てました。本当に、こんなに過酷だとは。
帰りはランナーに振舞われた、丹後の温泉無料券を使わせていただき、汗を流して、車で帰路に付きましたが、途中、猛烈な眠気に襲われてPAで仮眠をし、夜中12時30分頃にようやく家にたどり着きました。

あれから何日か経ちましたが、まだ脚の痛みは残っており、まともに走ることはできません。こんなに走らない日々が続いたことは今までなく、少し不安ですが、また今度は元気にフルマラソンを走れるよう、静養したいと思います。

来年はまた丹後でガツンと地獄を見るのもいいけど、四万十川も捨てがたいな〜なんて、懲りもせず考えてしまう自分がいるのは、困ったものです。
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