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2019年08月08日00:17

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では、好きな人とのSEXが否定される文化は正しいのか?と考えてみる

私は『火口のふたり』という作品も「身体の言い分」もよくわかっていないが、SEXについてしっかり考えることは、とても大事だと思う。俗に三大欲求(食欲、睡眠欲、性欲)と言われることには否定的であるが、少なくともSEXも、食事や睡眠のように真剣に取り組んでしかるべきだと考えている。

人間は本能を制御して文化を形成した来た。食文化に例をとれば、人は食べるという本能さえも、上手くコントロールして今日に至っている。畑に実る食材を目の前にして、我先に手を伸ばして口に運ぶことをしないのは、動物とは違って食べ方のルールを知っているからだ。もっと美味しく食べる方法、もっと楽しく食べる方法をいつだって求め続けて来た。ときには一見わずらわしいマナーさえ守ろうしながら。

旬の時期を理解し、より美味しく食べられるよう収穫の仕方を考える。無駄に争うことを避けて、所有者の意思を尊重する。より多くの人に届くよう流通方法を考える。店頭に並べる。盗むのではなく対価を払って手に入れる。保存方法を選択する。調理方法を学ぶ。誰と食べるかを想定し、どの食材と合わせるとよいか考え、メニューを決め、どんな味付けや加熱程度が良いか、配色まで留意する。調理が完成しても、使う食器を選び、それを趣向を凝らし整理した食卓に並べる。そして、感謝を込めたあいさつをし、美味しく食べるためのマナーに留意して、時に静かに、時にしゃべり、時にパーティーを催す等して、食文化を満喫する。また時には、店での外食、景色を楽しむ、青空の下と場所を変える楽しさも知っている。相手を変えることもあれば、実益を兼ねた会食でもてなすこともある。食文化は、歴史の中で、地域の特色や文化を取り入れながら、社会的にも個人的にも、たゆまず進化して今があると言っていい。

一方、性文化はどうだろう。私は、性文化は、まだまだ教条主義的で、内容に乏しいすかすかの文化になっていると思えてしまうのだ。社会的にも個人的にも、幾つかの偏見や性知識に左右され、「〜であるべき」「〜するべき」という思いが優先し、その範囲での行為に凝り固まっている気がしてしまう。

恐らく、きっと、性文化もSEXも、もっともっと豊かになるものだと思う。江戸時代、地域の特産品が持ち出し禁止となり食材の交流が制限されたように、まだまだ現代のSEXの少なくない部分が、「はしたない」、「倫理に欠ける」など偏見によって、さまざまな制限を受けていると思う。

(もっとも、この数十年で大きく変化していることを認めた上での話。
その辺は過去の日記 「艶とエロ・・・似て異なる言葉」2008年01月05日 
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=675859762&owner_id=14924440
や、「混浴と洗濯」2008年04月27日
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=788540377&owner_id=14924440
等に記している)

例えば、寝たままされるがままの女性をマグロと揶揄したり、女性のマスターベーションを女性自身が否定したり、2世代・3世代が同じ家に住み、親夫婦がふすまの向こうにいながらの性行為に抵抗があったりした1970年〜80年代に比べ、性情報は豊かになり、性行為に使うラブグッズの流通は増え、家屋が別になった現代は、もっと性行為は豊かになったと言えよう。最近ではドラッグストアで、ラブグッズを見かけるようになっているのに驚いた程だ。さすがにそれを手に取ってじっくり見てはいないが、男性用、女性用それぞれあるらしい。

一方でコンビニでは多くの店で、成人雑誌を置かなくなってきているらしい。今の成人雑誌の多くは男性に向けられたものであるから、その売り場が減ることは、偏った性情報を減らせることになるので、むしろ歓迎である。

食文化が、消費者と生産者、調理する人と食べる人との対話で深まった様に、性文化は男と女の対話がもっと必要だと思う。男が女に隠れて、或いはその逆では、深まらないと思う。作った料理の味の好みを話し合うように、性行為の好みを話し合っていいと思う。偏った性情報ではなく、男女で話し合える性情報やその機会があって良いと思う。「私はこういう料理が食べたい」とレシピ本を指さして話すくらいの気軽さで、「私はこういうSEXがしたい」とhow to本を指さして話すことがあってもいいのではないか。要は、男女で共通するSEX観をもっと広げた方が良いと思うのだ。

「それでは乱れた性が氾濫してしまう」と言う人がいる。それは、不倫や少年少女との性行為を危惧しての言葉だと思う。私はこの日記の冒頭に「少なくともSEXも、食事や睡眠のように真剣に取り組んでしかるべき」と書いた。性の乱れの氾濫は、不倫や青少年保護違反を嘲ったり、やたら面白がったり、必要以上に無視したり、そうした偏った情報に接するばかりで真剣に取り組んでいないからこそ生じると考える。共通認識の妨げが、性を乱れさせている原因だと考えている。不倫は家庭を壊すと知識で知っていながら、不倫に走るのは、知識や認識が不十分だからだと考えている。

食文化で言えば、食事に真剣に取り組んでいるからこそ、人は食べ過ぎや過度な食事制限、栄養の偏り、食事のマナー違反、衛生・安全等々に留意できるし、共通認識ができてきたのだと思う。フグの毒が危険と知っていれば、自分でフグをさばくことはしない。未成年にアルコールは危険と知っていれば、幾らかの未成年がアルコールに手を伸ばしても、社会としては、やめさせる方向に動く。

今、「私、今、不倫中。」と屈託なく語る友人に、どれだけの人が、やめさせようとするだろう。そうでなくとも、どれだけ自制をかけさせようとするだろう。そして、続けて「でも、一緒に食事するだけよ。」と笑う友人をどれだけの人が受け入れられるだろう。異性との二人きりの食事は不倫なのか?二人きりでなければOKなのか?今は、不倫の定義すらはっきりした共通認識がない。性が乱れているかどうか、その判断基準すらあいまいなのに、先に「乱れた性」を心配するのは何かが歪んでいるのではないだろうか。今の性文化が教条主義的だと述べた理由はそこにある。根拠もあいまいなままにイメージだけで善悪の判断をしているように思えてならないのだ。

結婚したものの、冷めきった関係にある夫婦がいると想像してみよう。他にとても好きな人がいるのにその人とのSEXを拒否し続け、もう嫌でたまらないのに、夫婦だからとSEXを強要され受け入れ続けるのが、果たして正しい愛の形なのだろうか。では、離婚すればすべて解決という話なのだろうか。子どもへの虐待やDVが日常的なパートナーがいるとする。離婚が成立できない状態で、心を癒してくれる別の異性を求めることは許されないことなのだろうか。それは「乱れた性」という烙印を押されるべきなのだろうか。

記事で取り上げたのは、『火口のふたり』の映画公開に合わせて企画されたananの夏恒例の“SEX特集”の紹介であり、“「身体の言い分」への耳の澄まし方”がテーマだという。私はまだ「身体の言い分」の意味を知らないため、想像でしかないが、これまで良しとされた理性や社会通念に反した性文化を取り上げるのだろう。原作者は「やっぱり好きな人とのセックスに勝るものはないんじゃないか」とも語っている。そのことだけで、幾らかの、知ってみる、考えてみる価値はあるように思う。

再び食文化の例を述べよう。「ご飯にマヨネーズが世に受け入れられなかった時代があった。次に、ツナマヨのおにぎりが爆発的に支持された時代が到来した。ただそれは、ご飯にマヨネーズをかけないと駄目だと言うことではなかった。」

これを模してみる。「結婚した人とのSEXだけが正しいとされた時代があった。次に、結婚に関係なく好きな人とのSEXが正しいとされる時代が到来した。ただそれは、嫌な結婚相手とのSEXが駄目だと言うことではなかった。」そんな感じだろうか。記事から想像した仮説でしかないし、その是非を決める必要もないが、それを真剣に考えてみるのは意味あることのように思う。

きっと、私達は、性文化について、SEXについて、まだまだ知識も理解も貧弱すぎる。
氾濫しているのは偏った性知識や情報ばかりだと思う。だからこそ、映画『火口のふたり』が、今後のSEXのあるべき共通認識に導いてくれたら良いと、ほのかな期待を寄せている。


柄本佑&瀧内公美「anan」SEX特集で抱き合う<火口のふたり>
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=137&from=diary&id=5738553
(以下記事)
【モデルプレス=2019/08/07】映画『火口のふたり』(8月23日公開)に主演する柄本佑、瀧内公美が、7日に発売の雑誌「anan」(マガジンハウス刊)の夏の恒例企画「SEX特集」に登場。特集誌面に掲載される野村佐紀子の撮影ビジュアルが解禁された。

◆柄本佑×瀧内公美「anan」SEX特集

「anan」が毎年夏に刊行し注目を集める“SEX特集”。今年、俳優の田中圭が表紙とグラビアを飾る「愛とSEX」号の“性”をテーマにした作品にフォーカスする「文学と性」のコーナーで、本作の特集が展開。

本作は、脚本家・荒井晴彦の監督第3作目となる、男と女の不確実な愛を描いた<R18>衝撃作。今回は、“映画「火口のふたり」が伝える、「身体の言い分」への耳の澄まし方。”というテーマに基づき、それぞれが“性”への向き合いについて赤裸々に語っている。

本作で象徴的に使われる“身体の言い分”という印象的な言葉を軸に、演者・撮影者・原作者インタビューと野村が撮影した本作のビジュアルでページが構成される。

結婚前に昔の恋人と再会。次第に蘇る身体の記憶。抑えきれない衝動の深みにはまっていく危ういふたりを描いている本作は、未来を見据えて選んだ結婚と、本当に好きな人との恋愛、どちらが正しい選択なのか?という究極の問いを観る者へ投げかける。

◆柄本佑「セックスは食べることと寝ることとイーブンになっていく」

主人公・賢治を演じた柄本は、「18禁だしベッドシーンが多いけれど、食べて寝る場面も多い。二人はどんどん原始的な、シンプルな状態になっていく。セックスは食べることと寝ることとイーブンになっていく」と話し、セックスを日常的な日々の営みとして、飾る事なくシンプルに描いている事を明かした。

賢治の昔の恋人でもう一人の主人公・直子を演じた瀧内も、「演じてみて、本能のままに生きるって健康的だな、と思いました。実際の生活では難しいかもしれないけれど、シンプルっていいですよね」と“身体の言い分”に身を委ねて生きる登場人物たちの姿に、魅力を感じた事を告白。

また、東日本大震災の翌年に原作を執筆した白石は、「考えたのは、明日若くして死ぬかもしれないとしたら、何がしたいか、ということでした。やっぱり好きな人とのセックスに勝るものはないんじゃないか。むしろ、それくらいしかないんじゃないか。そう思いました」と、本作執筆の際の思いを。白石は誌面で“身体の言い分”をはじめとする原作の台詞について、“性”への向き合い方を交えながら、自身の思いと考えを存分に語っている。(modelpress編集部)

【Not Sponsored 記事】
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