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2019年08月07日01:44

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現実という過去の呪縛か、大いなる勇気か

「現実」とは「最も近い過去」であって、「最も近い未来」とは別物だと思う。現実を容認することは過去に縛られることを認めることだとも思う。

核抑止論は、核の脅威を肯定し利用する立場であって、背後に世界が核の呪縛に囚われることを望む意図が透けて見える。それを突く「核兵器を特別に保有し、事あらば使用するぞと他を脅すことが許される国がある」とした広島県の湯崎英彦知事の指摘は鋭い。

それは、的を射た表現というだけではなく、正論を貫く強い意志表示をも含んでいる。核兵器による凄惨な被害を繰り返さないためには、また、今世界を覆っている核兵器の脅威というストレスから解放されるためには、核抑止という名の核保有国のどす黒い利権の放棄が必要ということなのだろう。

誰もが「核兵器は廃絶するのが望ましい」と言う時代にあって、「核抑止論の廃絶」の訴えは、それが本音か建て前かを炙り出す鋭さもあると思う。

「理想論だけでは駄目だ、現実的でない。」という指摘はこれまでもあった。
しかし、理想をかなぐり捨てた現実に未来はあるのだろうか?
現実を容認し、縛られることが、未来を捨てることではないのだろうか?
きっと理想を実現するために人は現在を生きているはずで、理想を否定するために生きているわけではないはず。そう感じた。


改めて、広島県の湯崎英彦知事のあいさつ全文を読んでみた。
『なぜ、74年経っても癒えることのない傷を残す核兵器を特別に保有し、かつ事あらば使用するぞと他(た)を脅(おど)すことが許される国があるのか。
 それは、広島と長崎で起きた、赤子も女性も若者も、区別なくすべて命を奪うような惨劇を繰り返しても良い、ということですが、それは本当に許されることなのでしょうか。』
「核抑止」という言葉は使っていない。それは、知事の全世界への配慮でもあり、怒りの矛先は「核抑止」ではなく、あくまで「核の被害」に向いているのだと意思表示であるのだと思う。

『…(核兵器を)持ったもの勝ち、というのであれば、持ちたい人を押しとどめるのは難しいのではないでしょうか。
 明らかな危険を目の前にして、「これが国際社会の現実だ」というのは、「現実」という言葉の持つ賢そうな響きに隠れ、実のところは「現実逃避」しているだけなのではないでしょうか。』
現状の容認や固執こそが、現実という言葉に逃避する「現実逃避」とのことだろう。

『 核兵器不使用を絶対的に保証するのは、廃絶以外にありません。しかし変化を生むにはエネルギーが必要です。ましてや、大国による核兵器保有の現実を変えるため、具体的に責任ある行動を起こすことは、大いなる勇気が必要です。』
知事は、この言葉をもって、自らの勇気を表現したのだと思う。全世界に大国による核兵器保有の現実を変えるためと明言しているのですから。
その勇気に、私も日記に記す勇気で応えたいと考えたのだ。


「湯崎広島県知事のあいさつ」全文は、広島県のHPに掲載されています。
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/52/01heiwakinensikitentijiaisatu.html


■広島知事が核抑止批判「現実という賢そうな言葉に逃避」
(朝日新聞デジタル - 08月06日 19:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5738142
(以下記事)
 広島県の湯崎英彦知事は6日、広島市中区の広島平和記念公園で開かれた平和記念式典で、「核兵器を特別に保有し、事あらば使用するぞと他を脅すことが許される国があるのか」と述べ、核抑止論の正当性に疑問を呈した。

 湯崎知事は「保有自体が危険」とする元米国防長官の証言を紹介し、核システムへのサイバー攻撃にも懸念を表明。その上で「持ったもの勝ちというのであれば、持ちたい人(国)を押しとどめるのは困難」との見解を示した。

 こうした危険について「国際社会の現実」ととらえることにも異議を唱えた。「現実という言葉の持つ賢そうな響きに隠れ、実は逃避しているだけではないか」と指摘し、核兵器の不使用が保証されるには「廃絶以外ない」と断言した。(北村浩貴)
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