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2019年02月25日23:39

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三首の物語(2) 春

確かに見晴らしは良い。でも、きつい階段を上り切った後の景色として、相応しいかどうかと言われるとちょっと微妙な気もする。
「良い眺めだろ。」
自慢気に話す彼の額には、汗が浮かんでいた。小脇には丸められたセーター。まだ3月の始めだというのに、初夏のよう。
「そうね。ちょっと暑いけど。」
「ああ、俺は汗かきだから、なおさらだな。」
そこに強い風。
「ああ、いい風。気持ちいい。」
とは言ったものの、後から砂粒が追いかけてくるほどの勢いだった。
「きゃぁ。」
思わず彼の懐に隠れる。
「お、これは春二番か?」
「春二番?」
「春一番は、立春の後に吹く強い風。春二番は梅を咲かせる強い風。そして桜を咲かせるのが春三番。」
「へぇ。じゃ、その次もあるの?」
「春三番の頃には春分になるからね。その次は、もう春本番。」
「へえ〜。そうなんだ。」
と、感心しかけたものの、思い出した。
「でも、もう梅は咲き終わりに近い感じだったわよ。ここに来るまでに見たじゃない。」
「ま、ここら辺の梅は早いから、時差ってことじゃない?」
彼の顔をじっと見る。真顔だ。
「ほんと?」
と聞き直すと
「本当かどうかはともかく、ネットで見た話だよ。」

延び延びになってた旅行。去年の暮れには、彼の捻挫で断念したけれど、その時、私が大学卒業するまでには必ず行くと言う約束は守ってくれた。それは間違いのないことだ。きつい階段の上、ちょっと微妙な感じもする景色だけれど。
「そう言えば、もう、捻挫は大丈夫なの?階段きつかったけど。」
「捻挫?ああ、あんなの、大したことないよ。」
「でも、旅行に行けなかっただけじゃなく、仕事も休んだでしょ。」
「まあね。あの時はトイレも大変だったけど、今は大丈夫だよ。」
「ほんと?」
「ああ。そうでなきゃ、階段上れるはずないよ。」
彼の顔をじっと見る。真顔だ。

休憩をして、二人で階段を下りていく。彼の方が速い。確かに捻挫は大丈夫そう。
「上りより下りが大変だね。」
彼はそう言うが、私との差はどんどん開く。私のペースを考えてくれてもいいのに。
「大丈夫、ちゃんと待つよ。放っていかないから。」
確かに、階段と階段の間の空間で彼は立ち止って待ってくれる。でもね、あなたは私を待つ間に休憩できるけど、私はずっと休憩も無く歩き続けてるのよ。
「大丈夫だよ。放って行かないってば。」
そう言う彼にようやく追いついた。
「ほらね。ちゃんと待ったじゃん。」
と、彼は歩き出す。だから、そういう意味の待つじゃないってば。
「捻挫だって、すっかり大丈夫だよ。」
と、彼は急に振り返り、右足を上げ、足首を軽く叩いて見せる。
「だから、そういうことじゃなくて・・・。」
あれ?捻挫は左足じゃなかったっけ?仕事を休んだという彼を見舞いに行ったとき、湿布を貼ってあげたのは、左足だったように思う。あれれ?湿布を貼るくらいで済む捻挫で、仕事を休んだのかな?旅行を中止したのと合わせれば3日は休んでるのに?そう言えば、痛いと言う割に、それほど腫れてなかったようにも思う。

「怪我したのが左足で良かった。右足だったら車の運転できなかったよ。アクセルも踏めないからね。」
そうだ。湿布を貼りながら、そんな話をした。何とか、自分の運転で病院に行けたとも言っていた。あの時は、私も、、大事を取って休んで正解だよ、と言ったように思うけれど、そもそも、旅行も仕事もできないほどの怪我だったのだろうか。

階段を下り切り、平坦な街の道を歩く。
「何にしても、旅行の約束が守れてよかったよ。」
うん、約束は守ってくれた。でも・・・、と思う。返事に困るのは私の中に膨れ始めた疑心暗鬼のせい。
「言ったたろ?俺は約束は守るって。卒業までにきっと行くって。ま、就職が決まって4月まで、忙しくなる直前、ギリギリではあったけどさ。」
その通りだ。引っ越しとかを考えればギリギリ間に合ったとも言えるかも。

「よし、今年のゴールデンウークは休みが長いから、その時は就職祝いで出かけよう。」
「また、そんなに簡単に言って大丈夫なの。ゴールデンウィークまで、もう2ヶ月無いんだよ。」
「大丈夫。俺も、すべての約束を守れたわけじゃないから、偉そうなことは言えないけど、就職祝いは必ずする。俺の顔をしっかり見てみろよ。嘘を言っている顔になってないだろ?」
また、目の前に彼の真顔。確かに、その顔は疑いようのない顔に見える。今回の旅行もギリギリでも約束を守ってくれた。だから、このタイミングの台詞には説得力もある。でも・・・、でも・・・。


「その顔は嘘をつかない。」でも口で嘘を言うからあなたが怖い

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