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2019年02月25日11:04

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沖縄に敬意を表し、国民の「忖度」を憂慮する

正直、「賛成」「反対」「どちらでもない」の三つの選択肢にした時点で、県民投票は失敗すると考えていた。しかし、投票率が50%を超え、辺野古埋め立て「反対」の得票率が70%を超えたのには驚いた。沖縄県民の意志の強さ、怒りの本質を改めて見せられた気がする。

「賛成」か「反対」かの投票自体を実施しないと表明した自治体があった。そこにもいろいろな事情があったのだろうと思われるが、それに対して、「賛成」「反対」「どちらでもない」の三つの選択肢を設けることにして、全県で実施にこぎつけた。

恐らく、埋め立てを推進したい側も、その条件なら、「反対」は票が伸びず、むしろ運動を鎮静化させることになると読んだのではなかっただろうか。埋め立てに反対の私も、残念ながらそうなってしまうだろうと心配していたほどなのだ。

しかし、結果は、圧倒的であった。過半数の投票率の上に7割を超える「反対」票。

一つの県の意志で、そう簡単に国政が動かないことを、もう70年、いやそれ以上の長い歴史の中で、沖縄県民が気付いていないはずがない。他のどの都道府県より身に染みてわかっているはずだ。にも拘らず、全県での投票を成立させ、なおかつ埋め立て反対をするために、投票に出向いた県民の意思を、そして圧倒的な結果を出した今回の行動に、素直に敬意を表したい。

政府の度重なる国民を無視した政策、動向を「仕方ない」「変わらない」と、どこかあきらめている自分に恥じ入るばかりである。

今、沖縄は、日本全国に、不屈の民意を示す民主主義の本来の在り方を示してくれているようにも思う。もし、日本全体が沖縄県民のような強い意志が持てていたなら、たとえその立場が保守であろうと革新であろうと、今国会に渦巻いているような、「忖度」や「改ざん」などは起きようもなかったのではないか、とも思う。

沖縄に米軍基地を押し込めることは、民主主義を置き去りにすることにも思えてしまう。ひょっとしたら、我々の「仕方ない」「変わらない」という容認は、民主主義の放棄に直結しているのではないか。今一度、本土の民意というものを真剣に考えてみる必要があるのではないか。沖縄の民意を知った上でも、何も思わない、変わらない国であることを「当たり前」と感じてしまう感覚は、国民全体が、政府に「忖度」している姿なのではないか。

今回の県民投票の結果を見て、そんな風に思えるのだ。


■辺野古埋め立て「反対」票、玉城氏の知事選得票を上回る
(朝日新聞デジタル - 02月24日 23:18)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5512068
(以下記事)
 沖縄県民投票は24日、投開票され、名護市辺野古沿岸部の埋め立てに「反対」の票が、昨年9月の知事選で玉城デニー氏が獲得した知事選最多得票(39万6632票)を上回った。午後10時50分の時点で反対が72・78%を占めており、「辺野古NO」の強い民意が示された。投票率は50%を超えた。

 県民投票条例は、最多の選択肢が投票資格者総数の4分の1に達した場合は、知事は結果を尊重しなければならず、首相と米大統領に結果を通知すると定めている。その4分の1は28万8398票で、すでに上回った。

 県民投票は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設計画をめぐり、名護市辺野古の埋め立てについて「賛成」「反対」「どちらでもない」の三つの選択肢から選んだ。
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