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2019年02月21日20:54

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三首の物語(1) 冬

呼び鈴が鳴ったのは、サッカーの後半戦が始まってから。ドアを開けると、そこに立っていたのは彼。
「お待たせ。遅くなってごめん。」
「もう。日本代表戦、後半になったわよ。」
と、拗ねてみせる。代表戦を一緒に観ながら夕飯をと言い出したのは彼。
「で、どっちが勝ってる?」
「知らない。」
もう一度、冷たくあしらって、キッチンに入り、土鍋が載ったコンロに火をつける。

遅れるとの連絡はあったから、本当は、怒ってもいないし、不機嫌でもないけれど、待ちくたびれかけてた私に、もう少し優しい言葉をかけてくれたっていいはず。そんな気持ちに、彼は全く気付く様子もなく、テレビの真正面に座り込む。そして言った。
「何だよ、もう2点差じゃん。あっさり勝ちそうだし、チャンネル変えていい?」
その言葉に、少しカチンと来た。サッカーを一緒に観るんじゃなかったの?私は別のドラマが見たかったのに、サッカーをつけてたのよ。大雑把に切った白菜を、鍋に乱雑に入れ、大きめの椎茸を放り込む。さらに他の具材を鍋に入れようとしているところへ
「あ、豆腐はまだ入れちゃ駄目だよ!熱を通し過ぎたら、固くなるから。」
後ろから彼の声。面倒くさいなあ。また一つ、イラッときた。

ご飯や器を用意する。さすがに重い土鍋は彼が食卓のカセットコンロまで運んでくれた。
「俺って優しい男だなあ。」
その要らぬ一言に、またイラッとくる。
「ようし、豆腐も入れたし、あとは頃合いまで蓋をして待てば良し。」
優しい男っていうより、調子のいい男。

土鍋は静かにコンロで温められている。
「そうそう、都合ついたよ。来月最初の金・土ならOK。」
「え?」
「去年の暮れ、旅行に行けなくなくなったじゃん。」
「ああ、うん。」
「その埋め合わせ。3ヶ月遅れだけど、行けそうだよ。」
「え?ああ、うん。」
「というか、もう一年になるか。」
覚えてくれてたんだ。機会を失い続けて、うやむやになってた旅行。去年の春は彼の仕事で、夏は私の母の入院で、そして冬は彼の怪我。計画を立てては、すべて失敗に終わっていた。一緒に旅行に行こうと言い始めてから、もう一年になる。ほんとは、年末の失敗で、もう行けないんだろうなとあきらめてた。
「よく、休みがとれたわね。」
「後輩に頭下げて、休みの予定変えてくれないかって頼んだんだ。そうしたら、今日の急な残業を変わってくれるなら、いいって話になってね。」
「へえぇ。」
「で、さっき、その残業を終わらせきたって訳。」
「そうだったんだ。」

土鍋がくつ、くつ、くつと小さく音を立て始める。
「予定は大丈夫?」
予定を確認する。金曜はバイトを入れないってことを覚えてくれてたのも嬉しかった。大丈夫。翌日の土曜日も予定はなかった。
「うん。大丈夫」
「よし!、行こう。」
「うん。うん。やったあ!今度こそ、絶対に行こうね。」

蓋の穴から、白い湯気が立ち上る。土鍋はぐつぐつと大きな音を立て始めた。
彼は、手に布巾をあてて、
「待たせたね。」
と蓋を取った。土鍋の中では、豆腐が楽しそうに揺れている。
「ほうら、豆腐が笑ってるみたいだろ?食べ頃の合図なんだ。」
彼はそう言いながら、コンロの火を弱めた。
「くすっ。ほんと、そう言われると、そんな風に見える。」
鍋の水面が少し穏やかになった。やや静かに揺れる豆腐を箸で追い、挟もうとするが上手くつかめない。箸先の間を滑るように逃げていく。かといって力を入れて挟めば割れてしまいそうだ。
「つかめそうで、つかめない。まるで俺たちの旅行みたいだな。」
「うふふ。ほんと、そうね。」


「待たせたね。」土鍋の中でお豆腐がくふくふ笑ふうふふと逃げる

(続く)
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