mixiユーザー(id:14924440)

2019年02月07日18:00

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子どもを育てられない社会になる危機感

「企業の9割が『人手不足』実感」している現状で、働きに出ている親自身、育児への時間的精神的余裕が奪われていると考えられる。よって、学童保育の需要が高まるのだが、学童保育でも人員不足のため、きつい仕事となっていることに危機感すら感じる。

学童保育に関わっている知人によれば、「仕事がきつい(人員不足による多忙化、親の要求の高度化等)」「待遇が悪い(現場の声を雇用側が聞いてくれない等)」「雇用が不安定(学童保育をやめる児童がいると雇用がなくなる場合もある等)」…等の話は止むことが無い。何とも大変であるにも関わらず、大変さと比例するように、周囲の理解は低くなっているようすら思える。そこに大きな危機感が生じる。

「親に急な残業が入り、学童保育に迎えに行けない。時間を延長して預かって欲しいと言われた。」「今日は病院に行く予定だと子どもには伝えてあるのにまだ帰ってこない。」「下校時刻をかなり過ぎても学童保育に子どもが来ないので、探し回ってみると、学校で居残り学習をしていた。」「(同様に)勝手に友達の家に行っていた。」等々。

それは酷い話だという事例に事欠かない。そんな状況で学童保育が人員不足にならない訳がない。それは「仕事がきつい」ために仕事が続けられない人が増え、人員不足となり、さらに多忙化し、さらなる退職動機や敬遠の理由となり、支援員不足に拍車がかかっていくのだろうと考える。いわゆる負のスパイラルだろう。

世間はどうも、子ども自体の数は減っているのだから、子どもに関わる仕事は楽になっていると思っているかのようにも見えるほど、現状の理解・関心が薄いように思える。そして、親自身が子どもに向き合う時間も、精神的な余裕も奪われ、育児に関われなくなっている分、育児の負担は教育現場(学校・学童保育)に集中している現実があると思う。

仮に、親の多忙化により、子ども一人当たりに必要な育児時間を10分だけ、学童保育に背負ってもらうとする。そうすると現場では、10分×40人(支援単位児童数)=400分の増加である。40人を2人の支援員が担う現状では、一人当たり200分(3時間20分)の増加となる。

もちろん、こんな単純計算で学童保育の多忙さを説明すべきではないのだが、先述の「今日は病院に行く予定だと子どもには伝えてあるが、まだ帰ってこない。」の訴えを回避するために、親が数行のメモを書いて子どもから支援員に渡したり、一言先に電話連絡したりするなどにより、状況が大きく好転することも少なくないと思う。

折りしも下校後の子どもの事件などで親の不安は強くなっている。それゆえ、せめて学童保育では自由に伸び伸び過ごして欲しいという願いもあるだろう。しかし、一度、事が起きれば学童保育の責任は免れない。「自由に過ごして欲しい」という親の願いを叶えるには、「支援員が子どもに目も保護も行き届き易くする(管理し易い)」親の協力が不可欠ではないだろうか。

児童数の減少で一緒に帰る友達も不足している。地域で営業する個人の店も減り、近所づきあいも希薄になっている。日没後の帰宅は、親が子どもだった頃より、明らかに危険性が増している。それなのに、子どもは下校の安全を保障してもらえる時間も相手も奪われているのだ。それを「誰か」に補ってもらえる段階はもはや過ぎてしまっているのではないか。「誰か」ではなく「誰もが」と考えて行動すべき現状なのではないか。そのための、知恵と工夫と英断が求められている。

これは、決して、保護者や支援員に問題があるという指摘ではない。慢性的な人員不足による社会全体の多忙化が、結果的に子どもを、育児・教育を置き去りにしてしまっていることへの危機感である。

その点で言えば、先日の「ファミマがこども食堂 3月から全国2千店」とのニュースは、一縷の期待が持てる。もちろん、その記事への日記に「壮大な社会実験として支持します。」と書いたように、まだどこまでのことが可能なのか不透明な実験的な取り組みとは思っているが、「子育て可能な社会の維持、変革」のための知恵と工夫と英断を行った具体例として、注目・支持する価値はあると思っている。

今、子どもに対して、目も人手も足りない社会構造となっていることを、社会全体が真剣に考え動かないと、大げさな話ではなく、健やかに子どもが育てられない社会になってしまわないかと思えてしまうのである。


<参考URL>
企業の9割が「人手不足」実感 「高待遇での採用活動」など実施も効果薄
(mixiニュース)2019年01月29日
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=40&from=voice&id=5476269
ファミマがこども食堂 3月から全国2千店、イートイン
(朝日新聞デジタル - 02月01日 17:57)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5481037


<関連する日記>
壮大な社会実験として支持します。(2019年02月01日22:55)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1970223293&owner_id=14924440

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■ギリギリの学童保育の現場 過去には支援員が「逆ギレ」も
(AERA dot. - 02月07日 11:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=5488515
(以下記事)
 共働き家庭にとって、子どもの小学校入学以降を安心して過ごすため、なくてはならない存在が学童保育だ。近年、利用者が急増している。その現場で基準緩和をめぐり不安が広がっている。
*  *  *
「我々が働く現場を見てよ、とお偉いさんに言いたいです。今はギリギリでまわっているけれど、全く余裕はありません」

 関東地区のある学童保育で支援員をする女性(46)の声だ。子育てが一段落した2年前、知人の紹介で正規の職員としてこの職に就いた。面接では「子どもと遊べばいい」と言われ気楽に足を踏み入れたが、現場はハードだった。

 交代制で6時間勤務と聞いていたが、夏休みは職員が足りず10時間超えの勤務が続いた。発達障害の子もいれば食物アレルギーがある子もいて、個別に対応するのはかなりの労力がいる。学校との連携や保護者をケアするための情報共有も欠かせない。

 やることは山積みで、支援員はお茶を飲む時間もトイレに行く時間もなかなかとれないほどだ。毎日早く出勤して仕事をこなしても、給料は増えず残業代の概念もない。

「子どもたちはかわいいし、すごくやりがいのある仕事だけれど、正直きついです」

 学童保育は、共働き家庭など保護者が放課後の小学生をみられないケースで、代わりに保育をしてくれる仕組みだ。小学3年生までが対象の場合が多い。保育園に頼っていた親たちが働き続けるための“頼みの綱”だ。

 厚生労働省の調べによると、学童保育は2018年5月時点で全国に約2万5千カ所ある。共働き家庭の増加なども影響して、利用児童数も増えている。16年には全国で109万人超だったが、18年には123万人超になった。

 学童保育の運営形態は自治体や施設によって大きく異なる。運用基準は長い間現場に任されてきたが、15年にようやく「支援の単位(40人以下)ごとに職員2人以上」「うち1人は都道府県による研修を受けた放課後児童支援員」とする2点が「従うべき基準」として定められた。しかし昨年の秋、これらが緩和され「参酌すべき基準」となることが決まった。保護者や職員からは「保育の質を保てるのか」と不安の声が上がっている。

 緩和の背景にあるのは地方からの要望だ。17年夏、内閣府地方分権改革の会議で、都道府県や市町村から「学童保育の実情はそれぞれの地域によって異なるので緩和してほしい」という声が上がった。

 保育園の待機児童問題と同様に、都市部など人口が流入している地域では学童の利用者数も増加傾向だが、一方、地方の山間部など子どもが激減している地域では、全国一律の規定を当てはめるのは難しい面もある。

 現在の基準では子どもが少なくても2人の職員が必要。中部地方の豪雪地帯にある小規模校では、数年前から学童保育の開設を求める声が出ているものの、登録者が1人のため予算化に踏み切れず、基準の緩和を求めている。

 東京都内で支援員をする男性(55)からも疑問の声を聞いた。

「土曜日は学童に来る子どもの数がすごく減る。以前いた教室では子どもが1、2人のこともザラ。でも職員は2人必要だから休みがとれない。このルールは困りますね」

 また、放課後児童支援員の資格が必要という基準についても、「人手が足りないため、職員が研修を受けようにも現場を抜けられず資格を取れない」「経験豊富で子どもや保護者から信頼が厚い職員がいるが、中卒のため資格を取れない。『高卒以上のみ』を資格の基準とするのをやめてほしい」などといった意見もあった。

 今回の基準緩和について、厚労省子ども家庭局子育て支援課は説明する。

「実際にどんな基準で運営するかは、各自治体が地方議会で議論した上で条例化するので、いい加減な基準になることは考えづらい」

 ただ地域によっては、増える児童がすし詰め状態で、職員の目が行き届いているのか疑問が残る状態の学童もある。

 2人の子どもを学童に通わせてきた千葉県の女性(42)はかつてのことを思い出す。

「上の子が学童に入った6年前は職員さんの数が少なくて、余裕がなさそうでした」

 そのころは、まだ基準がなかった時代。長男が上の学年の子にいじめられたことを学童の職員に伝えたときは、「職員数が少ないので仕方がない」と逆ギレされたこともあったという。

 ここ数年は職員の数が増えて以前よりはよくなったが、まだ十分とは思えない。たまに職員が少ない日はやはり大変そうで、子どもたちもちょっとしたことで叱られているという。

「子どもを見守る目は多ければ多いほどいいのに、基準の緩和で人が減ったりしたら困ります」

(ライター・大塚玲子)

※「『事故があればもうアウト』学童保育の基準緩和で現場に不安の声」へつづく

※AERA 2019年2月11日号より抜粋
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年02月07日 21:59
    ベビーシッターをしている友人も、同じ苦労を訴えています。子どもの確かな人格形成のためには、ひとりでも多くの多様な大人が、多様なかかわりを持ち、それぞれの立場で、子どもたちと、悲しみ、喜び、怒り、優しさ、といった人間らしい心の在り方を分かち、社会の良し悪しを体現してみせてあげること。
     なのですが、ぎりぎりの人数で「管理する」ことが、幼児保育産業の基本になっています。解決のひとつとして、保護者サービスではなく、保護者とともに、理解しあって、助けあって、子どもたちの成長を支援する、という信頼と協力関係があります。現場のスタッフは、もうそれしか希望がないと実感してます。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年02月07日 22:44
    > mixiユーザー 
    コメントありがとうございます。

    > ぎりぎりの人数で「管理する」ことが、幼児保育産業の基本
    その基本は、手放しでは受け入れ難いというイメージが付きまとうものの、「(子どもの安全を)管理できない」状況では、育児・保育・教育は困難を極めるので、やはり根本に据える必要があると思います。

    大人が多忙なのは、一見、昔も今も変わらないように思いそうですが、昔は、日付が変わってまでの残業や家に帰っての残業は、普通とまでにはなっていなかったですから、多忙さの質が違ってきていると感じます。

    > 保護者とともに、理解しあって、助けあって、子どもたちの成長を支援する、という信頼と協力関係…
    これは、欠くことのできない重要な部分ですね。何と言ってもまずはお互いの理解が必要です。そこができていなかったら、本当に子育ては崩壊しかねないと思います。

    ただ、残念ながら、現状では、社会全体で観れば、育児・保育・教育は軽視され過ぎているというのが自論です。国家の教育予算や施策の立ち遅れという話だけではなく、近所に保育所ができるのを地域が反対する、地域の公園の管理が行き届いていない、(不審者対策として)子どもに気軽には声をかけられない、個人情報として地域の子どもを把握することを避ける、親子で一緒に見られるホームドラマの減少、子どもと親の家庭内別居に近い環境、等々、一般に思われている以上に、子どもは社会から隔離されていると感じます。社会から子どもを隔離しておいて、子育てのできる社会を継続することは不可能に近いと思うのです。

    ですから、保護者との信頼と協力関係が、学童保育や学校、保育園の内側だけにとどまらず、地域社会にも広がっていく手段が必要だと考えています。ま、その一つの方法が「子ども食堂」などになってくると思うのですが、まだまだ実質的に個人の善意によってのみ支えられてる印象が強く、何とかできないものかと無力者ながらに思うのです。

    何としても、あきらめるわけにはいかないことですものね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年02月08日 08:57
    子ども食堂ね。栄養士、調理士の友人と、いつか、やりたい、とわたしも少しずつ貯金してるんです。。何にせよ、子どもの居場所をつくりたい。
     ところで子どもや患者、社員、誰に対してであっても、「管理」という言葉や発想は、人権侵害だと、わたしは保育理論の恩師から、ものすごく言われました。当事者には、自分たちで考え、意志決定し、失敗から学ぶ権利がある。保育士や、介護士、医療者は、「管理」「監視」という発想になると当事者の生きる力を奪って、自分では何もできない、考えられない生き方を強いてしまう。から、その子やそのひとが自分で考え、自分で自分を、守れるように、困っていたら、互いに助けて、と安心して言いあい、行動できるように、「支援」して下さい。そのためには、臨機応変な判断や発想、創意工夫、知恵がいりますよ。 人もスペースも時間も切り詰めた現場では、難しいのですが、せめて心だけは、そうありたい、と常に思っていてください。
     
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年02月08日 19:31
    > mixiユーザー 
    > 「管理」という言葉や発想は、人権侵害…
    りりるさんの言いたいことは、ある程度わかるつもりです。「管理」と言う言葉は、相手と対等ではなく、上から目線のよう感じられるし、人ではなく物を対象にしているかのような印象ですからね。

    上のコメントで「(「管理する」ことが)手放しでは受け入れ難いというイメージが付きまとう」という前置きをしたのは、そこに起因しています。私自身、「人を管理する」という表現に疑問が無いわけではないですが、逆に安易に「管理」の言葉を遠ざけることが、人権侵害になってしまうという思いもあるのです。それは、同時に「支援」という言葉の危うさと結びついています。

    「管理するのではなく、支援すること、その気持ちが大事なのです。」といった表現は、一見優しさを含んでいるようでありつつも、安易に使うことで、甘さや杜撰さをに繋がってしまう表現に思えるのです。

    りりるさん♪の日記にある子どもの「注意獲得行動」を例にとれば、子どもが輪を乱している時に行う「支援」とは、輪を乱すことを容認することでも、他の子に我慢をしようねということでもなく、迷惑を感じている友達の気持ちを考えるようにする、自らの行き過ぎた行為に気づけるようにする、結果、迷惑な行動を自制できることなのだろうと思います。

    それはそれでOKなのですが、その「支援」は、別の視点に立てば、子どもの自分勝手な行動を止めるものであって、残念ながら「管理」と捉えられることが往々にしてあるのが現状だと思うのです。そんな現状の中で「「管理」ではいけない、「支援」をするべき」という言葉だけが先行してしまうと、「子どもの自分勝手な行動を止める」ことがいけないという誤解が生じるのを危惧してしまうのです。

    かつて「詰め込み教育」が批判され「ゆとり教育」が導入されたことがあります。知識を詰め込むばかりの教育ではいけない、自分で考えられること、自分のペースで学習できることを大事にするという考えの下でスタートしたはずの「ゆとり教育」が、いつの間にか「少ない知識でもいい」「できない子はできないでかまわない」といった誤解を生じ、結果「ゆとり教育は失敗」「ゆとり世代は役に立たない」等、散々な叩かれ様になりました。あれだけ「これからの教育には、ゆとりが大事だ」と言われていたのに、今や「ゆとり」は蔑視語、差別語のような扱いをされることも珍しくないですよね。


    問題行動を起こしている子どもに、「管理」ではなく「支援」を、というスローガンが、かつての「ゆとり」のように、その本質ではなく、言葉の表面なイメージだけが先行してしまい、結果として大きな誤解を生むのを心配をしています。

    思うに、今言われている「管理」への批判は、子どもや親の納得を得ず強制的に枠にはめてしまうといったイメージに対する批判だと思います。決して「規則を守る必要はない」という事ではないはず。一方で「支援」への賛同の中に、「規則を守れるようになるまでの弛まぬ努力」が含まれているのかと考えた時、残念ながら、そこまでの考えには至っていないように思われてしまうのです。

    「管理」であれ「支援」であれ、「法律、規則、ルール、モラルを守れるようにする」ことは欠かせないはず。そこへのアプローチの仕方に違いはあれども、「管理」も「支援」も、その目的を見失うことはあってはならないと思います。(もちろん、それだけが目的なのでは無いですが)

    「強制より、説得。説得より、納得、納得より自主性」が、より相手を尊重した行為だと思います。私の印象では、「管理」は強制や説得をすること、「支援」は納得してもらった上で、自主性をもってもらうこと。そんな感じです。

    そう考えたとき「管理」と「支援」では、「管理」することの方が圧倒的に簡単。「支援」の方が圧倒的に困難です。なのに、最近の風潮、「管理より支援を!」というスローガンの中に、「管理」するのは大変だから「支援」に留めておいた方が楽、みたいな ニュアンスを感じてしまうのは私だけでしょうか?

    (続く)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年02月08日 19:32
    > mixiユーザー 

    (続き)
    中途半端な「支援」が蔓延して、「嫌なのだから、ルールを守れなくても仕方ない」となってしまうことが恐ろしいです。私には、中途半端な「支援」の方が、「管理」よりも余程「人間らしさ」を奪い去る人権侵害であるという思いがあります。覚悟のない「支援」は、「管理」よりもひどい事態を引き起こすように思えてなりません。そして、保育・教育の現場から遠い者程、覚悟も無く「支援」を現場に「強制」させるという「管理」が横行しているように思えるのです。

    なんかね、今言われている「支援」が、かつての「ゆとり」と同じ軌道に載ってるような気がするんです。「詰め込み」より、「ゆとり」が人間らしい教育だと言われていたのと同じ流れに思えるのは、杞憂でしょうか?

    りりるさん♪の言っていることが、間違いだという訳ではないのです。「管理」より「支援」の方が、より人権を尊重しているのは確かなのですから。


    子ども食堂の夢、素晴らしいと思います。子どもの安心できる安全な居場所が増えていくといいですね。


    思いの外、長文になってしまいましたが、私の意図を汲んでいただけたなら幸いです。読んでいただき、ありがとうございました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年02月08日 20:33
    管理は安易、支援は困難。だとわたしは、思っているので、ごじょうさんのなかでのそれとは、体験的に違いますね。ごじょうさんは、結局何をしたいのでしょうか。現代をひたすら憂えるだけの言葉だけのひとか、真剣に行動し、日々困難のなかで希望あるほうへ、いまの自分にできるせいいつぱいなことを、やってらっしゃるのか。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年02月08日 21:43
    > mixiユーザー 

    ん〜。何だか、うまく伝わってないように思います。
    > 管理は安易、支援は困難。だとわたしは、思っている…
    私も同じです。「「管理」と「支援」では、「管理」することの方が圧倒的に簡単。「支援」の方が圧倒的に困難です。」と先のコメントに書きました。

    記事に対しての日記にも、「子どもに対して、目も人手も足りない社会構造となっていることを、社会全体が真剣に考え動かないと、健やかに子どもが育てられない社会になってしまわないか」と書きました。

    個人の問題ではなくて、社会構造自体の問題であるから、
    「管理」ではなく「支援」を求める以上、より一層の条件整備を怠ってはいけない、
    「支援」をしていく以上、しっかりした支援になるようにバックアップしていかないと「管理」より酷い状態になりかねない、
    子どもを直接「支援」する支援員や教員に対して、手厚いバックアップをしていく必要がある、
    そういう意味です。

    子育ての現場に立つ人に、もっと自覚を持てと言う話ではありません。
    「管理」より「支援」が困難だからこそ、子育てへの「支援」を押し付けや、現場任せにしていてはいけないという話でした。

    恐らく「中途半端な「支援」が蔓延して…」という部分が、現場に立つ人を責める言葉として誤解を生んだのではないかと思いますが、それは私の考えとはまったくの逆です。現場を守ることをしなければ、十分な支援は成り立たないということです。

    「ゆとり」教育が実施された際、手を抜く教員がどれだけいたでしょう?ほとんどの教員は精いっぱいの努力をしていたと思います。しかし、その教員たちの努力は認められることなく「ゆとり教育は失敗」とされてしまいました。それは子どもにも、親にも、教員にも、悲劇です。いつの時代でも子育ての現場の努力を顧みることを怠ってはいけない、それを思うばかりです。

    拙い表現で、申し訳ありません。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年02月10日 06:40
    ごじょうさん、ものわかりの悪いわたしに、再度の懇切丁寧な、解説、ありがとうございました。ごじょうさんが、選挙に出るなら、わたし、ボランティアします。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年02月11日 23:04
    > mixiユーザー 
    選挙には、もう出る予定がないので、ボランティアをしなくても大丈夫。

    何にせよ、誤解が解けたようで安心しました。

mixiユーザー

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