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2018年11月10日19:27

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余命告知義務はまだ未来の話

余命告知は、どうしても残りの人生の選択を迫られる。しかし、余命告知はまだ正確性を欠くし、その責任を負うにはリスクが多き過ぎる。義務化するのはまだ時期尚早だと思う。そこまで医師に負担を押し付けるのはどうか?幾つもの問題点が存在していると思うのだ。

1.余命は推測でしかなく、告知より余命が長くても、短くても問題視される中、そもそも的確に応えられる医療科学・技術にあるのか疑問を抱く。予期せぬ病状の悪化や予想を上回る回復なども珍しくない現状である。未だセカンドオピニオンについてさえ、理解がない患者や医者がいる中で、どうして明確な余命が出せるのか、また受け入れらるのか、はなはだ疑問である。

2.医師数の不足や多忙化が解消されない中で、その個人の医師に余命判断の責任を負わせることはあまりに重すぎる。私は、小児科、産婦人科の医師が減少している背景には、少なからず訴訟リスクが大き過ぎることも要因になっていると考えている。これ以上、医師に不利な判例を積み重ねて、いい結果が出るとはどうしても思えないのだ。

3.医療への不理解が大きすぎる。早期発見ならガンはすぐ治るとか、どの治療法が有効であるとか、さらには、○○医師なら安心だが、□□医師は信用できないとか、医療情報がまさに玉石混合状態にある。医師の話を聞かずに民間療法に走り悪化した、或いは良くなったなどの噂の域を出ない情報もはびこっている。薬の効果でさえ、個人による差が大きいのに、病状だけを聞いて医療方針をころころ変えたがる患者の話も珍しくない。患者側が、余命宣告を過信しても、軽んじても、この手の問題は生じてしまうだろう。また、余命を知って、前向きになれる者、絶望してしまう者がいるのだ。そこを抜きにして、一律的に医師の責任にしてしまうのは、医療への信頼さえ崩壊してしまわないか?

余命宣告は、あくまで目安の一つでしかない。
どこまで病状を説明するかも、ある意味治療の一環だと思う。いたずらに不安をあおるものも、楽観視させてしまうのも問題だろう。
症状も受け取り方も個人によって大きく違ってくるのだ。

今回の訴訟が、病状の説明があり、治療方法にも特に過誤がなく、ただ「余命告知」がなかったことで罪を問われてしまうなら、医師の負担はあまりに大きくならないだろうか?余命宣告義務は、宣告する医師・医療の側の盤石な体制と、宣告される患者とその家族の側の十分な理解とケアが不可欠だと思う。今の現状での余命告知義務を問うのは問題があり過ぎるように思うのだ。

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■がん患者の「余命告知」は義務か? 遺族「充実した時間を過ごせず」と病院を提訴
(弁護士ドットコム - 11月10日 10:42)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=149&from=diary&id=5370129
(以下記事)
余命1カ月という診断結果を告知しなかったため、残りの人生を家族で充実させることができなかった――。大分市の50代女性が2018年1月、がんで亡くなったことをめぐって、遺族と病院側(市医師会と主治医)が民事裁判で争っている。

報道によると、女性は2005年ごろ、乳がんを患った。2009年に再発して、肺などに転移していたため、大分市内の病院に通院して抗がん剤治療を受けていた。今年1月下旬、女性は容体が急変して亡くなった。

不審に思った遺族が、病院に説明をもとめた話し合いの中で、主治医が1月中旬の検査時に「余命1カ月」と判断していたことがわかった。しかし、女性と遺族には余命を告知していなかった。病院側は「余命告知の義務はない」と説明したそうだ。

遺族は病院側に対して、慰謝料など3190万円をもとめる訴訟を大分地裁に起こした。10月下旬に開かれた第1回口頭弁論で、病院側は請求の棄却をもとめたという。そもそも法的に「余命告知」はどう位置づけられているのだろうか。鈴木沙良夢弁護士に聞いた。

●医師・病院には病状について適切に説明する義務がある
医師・病院には、患者に対して、病状について適切に説明する義務があるとされています。

医療は「診療契約」という契約に基づいて提供されていると考えられていますが、この契約の中には、診療行為のほか、診断結果や治療方針を適切に説明する義務も含まれているとされています(医療法第1条の4第2項)。

そのため、病院側は、病名・病状について、患者に対して十分に説明する必要がありますし、検査や診断の結果を適切に伝えなければならないとされています。

●「余命告知まですべきか」という問題は残る
かつて日本では、特に「がんである」という診断がされた場合、患者本人が受ける精神的ショックに配慮して、がんの告知はしない、ということもおこなわれていました。

しかし、30年くらい前より、「インフォームド・コンセント」(患者に適切な説明をして合意を得ること)の必要性が認識されるようになり、現在はたとえ、がんであっても、原則としては病名・病状を告知するようになりました。 ただし、残された時間を患者に告げるべきか、つまり「余命告知」まですべきか、ということについては難しい問題があります。

そもそも、それぞれの患者の余命を正確に予測することが困難であるという実情があります。余命の予測に「生存期間中央値(Median Survival Time)」を用いる場合もあります。ただ、これはある疾患で50%の患者が亡くなるまでの期間の統計であって、それぞれの患者本人の余命を推測するものではありません。

今回のケースでも、統計としての期間ではなく、患者本人の当時の病状から見た余命が問題となっているのではないでしょうか。

●常に余命告知をしなければならないのか
たしかに、余命がわかることによって、患者とその家族としては、残された時間を有効に過ごす見通しが立てられることになります。しかし、一方で、配慮のない、あるいは確度の低い余命の告知は、患者の不安をいたずらに増してしまうこともあります。

治癒が困難な病状であると診断された場合には、その時点でそのことを伝えることは、原則としては病状の説明として説明義務の範囲内だと考えます。

ただし、患者本人が期間としての余命を知りたいという意思を明確にしていたような場合はともかくとして、「常に、期間としての余命告知をしなければならない義務」までは、ないように思います。

今回のケースでも、患者側の主張としては、治癒困難な病状であることの説明が適切な時期にされなかったということの一事情として、「余命告知」がなされなかったことを主張しているのかもしれません。

(弁護士ドットコムニュース)

【取材協力弁護士】
鈴木 沙良夢(すずき・さらむ)弁護士
早稲田大学法学部卒業後、大東文化大学法科大学院を経て2006年に司法試験合格。2012年、鈴木沙良夢法律事務所開設。病院・医療法人のための法律問題解決サイト【医療法人.net】を運営。
事務所名:鈴木沙良夢法律事務所
事務所URL:https://www.iryou-houjin.net
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