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2021年09月01日06:00

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横綱考

今朝の紙面一面がこうだった。

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これでアフガンは振り出しに戻るかというとそうではない。かの国も米国も多大な犠牲を払いつつ汚名を上書きしてもうどうにもならない状況だ。これからのアフガンを世界は注視するばかりで手をさしのべることはないのであろうか。

昨日の紙面で読者の「声」の欄から「若い世代」の特集でひとつ記事を紹介したい。

「勝ちにこだわる相撲を支持する」 高校生 羽田蒼馬 長野県 17歳

⇒9月12日から始まる大相撲秋場所。先場所、横綱白鵬関が全勝優勝を果たし、ファンである僕は「復活優勝」をうれしく思った。同時に、土俵上での取り口や態度に批判が寄せられたことに複雑な思いを抱いた。
 確かに先場所中、これまでも問題となった張り手やかち上げも見られた。品格がない。正々堂々としていないという意見もあった。しかし、それらの技はルールで認められていて、使うことは許されている。加齢による衰えをカバーし、勝ち続けるために横綱がルール内で工夫している点を批判するのは不当だと思う。
 「そこまでして勝ちたいのか」。
ある解説者はこんな趣旨の発言をしていた。しかし、ルールの範囲内で勝ちにこだわる横綱を、そこまで批判したいのかと思う。どうしても「品格がない」というなら、正々堂々と具体的にルールを見直すべきだ。                (了)

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これを読んでああこれが今どきの潮流であり若い世代の考え方なのであろうかと思いちと嘆息させられた。ルール重視。ルール外度外視。勝てれば何してもいい。なんだかなあと思う。

そも相撲は競技の前の大前提に「国技」とある。これはいわゆる心技体を充実させて高い精神性をもって臨むのを理想とする競技であり同時に芸能であると僕は思うし、僕以上の世代の方々もそう認識しているファンが多いと思う。
白鵬関の取り口を嫌う方々にも理由があり、ひょっとするとこちらのお方との比較があるのではないかと思う。

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戦前の世紀の大横綱の双葉山関である。本場所が年一度のなかにあり69連勝の大偉業を達成している正真正銘の大横綱だ。
双葉山関はこう言われていた。常に相手より「少しだけ強い」と。相手対して常に受け身で構え、相手にじゅうぶんに相撲をとらせたうえで最後は自身が勝つということであり、多くの横綱たちが目指す相撲であったはずだ。

それを白鵬関は「理想だ。尊敬している」とはいうもののやはり彼はそうはならずというかなれず、結果力量及ばずあのような相撲になってしまっている。このことであろう。
それゆえに彼は目先の勝利こそが自身の存在証明となってしまっているのかもしれない。

そして僕はもうひとりの元横綱を思う。こちらのお方である。

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いま相撲協会の重鎮で元横綱大乃国関であった芝田山親方だ。当時は千代の富士旭富士といった横綱もおり群雄割拠の時代の横綱であった。
彼なのだが、横綱にとってもっとも不名誉である負け越しを喫したことがある。7勝8敗であった。ずいぶん世間からバッシングされていた。

だが僕は思った。彼は横綱の責任として本場所全試合出場にこだわったのだ。ふつうの横綱ならちょっと具合が悪ければ休場してしまえば済むことである。だが彼はそうしなかった。自身が土俵に立つことを優先した。そして彼は当時問題となっていた星の貸し借りいわゆる八百長には断じて首を縦に振らなかった孤高の人でもあった。

だから負け越したのである。たしかに横綱としては不名誉であったが、僕は人間としては見事な在り方だと思った。
そのおかげか芝田山親方はいま角界で要職を得ている。周囲が彼を慕うのはおそらく彼の清廉潔白を知っているからではなかろうか。

勝ちにこだわるか。綱としての品位を重んじるか。これは結局は好みの分かれるところであり、それでいいと思う。ただ僕は白鵬の汚らしい取り口に嫌気がさしているだけである。

今朝の東の空がこちら。

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朝方五時。だいぶ日が短くなってきたのを感じます。
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