mixiユーザー(id:14921690)

2021年02月28日06:22

173 view

コードネームで呼ぶなかれ

昨日のNHK「あの人に会いたい」はご長寿姉妹でおなじみのきんさん・ぎんさんのおふたりであった。

フォト

この番組にお出になる方々の中にはまだこの人死んでないんじゃないの?と思わせてくれる方が時々いらっしゃるが、このおふたりもそう感じる。それだけ僕には身近で明るい存在であった。きんさんの過去の話がおかしかった。近所の農家に嫁入りして、新婚旅行が近所の田んぼとあり朝から死ぬほど笑わされた。

フォト

お生まれが19世紀末であるからしてそんな時代であったのだ。きんさん107歳ぎんさん108歳のご長寿だったんだね。ぎんさんに至っては3世紀にまたがって生きていらしていやすごい。

フォト フォト

ついうっかりいつまでもお元気で♡と言ってしまいそうだ。ご両人、ありがとうございました(*´ω`*)。
昨日の日記からで恐縮であるが、このおふたりである。

フォト フォト

Tちゃんのあだ名が「おばん」でMさんのそれは「チャースー」であった。なぜにかようなあだ名かと疑問を呈したところ、Tちゃんが別のSNSのメッセでご丁寧に教えてくれた。Tちゃんは小さい頃から落ち着きのある子だったのでそう呼ばれてしまったとあった。そうだったんだね。そういや30代の草野球時代に女の子の選手がいっぱいいたBというチームにもまだ30手前の子で「おっかあ」と呼ばれていた子がいたよね。そういった愛称はご当人の度量が敬愛されているということであろううらやましいことである。

Mさんのチャースーであるがチャーシューがなまったものだ。これは彼女が高校入学時の頃にラーメン屋でチャーシュー麵を食べていたところを誰かに目撃されてのことであると知りちょっと驚いた。
あの当時で女の子がおやつだかにラーメン屋でしかもチャーシュー麵を食べているというところに驚く。けっこう度胸の要ることではなかったか。やはりMさんこの頃から男前だったんだね。いずれおふたりの愛称は皆に愛されてのものでうらやましいことである。

僕であるが平凡な苗字であったがために必ず学年に同姓がもひとりいたので下の名前で呼ばれたことが多かった。
小学四年の時である。エッチな少女漫画で人気だった吾妻ひでお先生の作品に「ふたりと五人」というのがあり、その中の脇役キャラで「ポルノ虫」というかなりエッチなフォルムをした半虫半人が出てきていた。そいつがある日グレートマジンガーの恰好して出てきたのが面白かったので僕はそれを模写して遊んでいたところ、それを目撃した同級生たちがみな僕のことを「グレートタクアン」と冷やかして呼ぶようになり一時期閉口した。

ところがその一件がある生徒の親御さんの耳に届いてしまい、結果僕の母が学校に呼び出しを食らってしまい僕の代わりに厳重注意を受けたとだいぶ後になって母から告白されたことがあった。母のことがあまり好きではなかった僕はそれを知りけけけけけけけけけけ母ザマミレと思ったものであり低劣な愚息であった。

フォト

会社ではよっちゃんと行きつけの居酒屋ではタクちゃんと呼ばれておりどちらも嫌だった。いちばんよかったのは学生部活時代のそのまんまの「ヨシ〇」と呼ばれたのが僕にはいちばんしっくりきたものだった。
その学生時代であるが、大学でもいちおうクラス分けがあり同級には結果ヒドいあだ名の奴がふたりいた。まずはこいつである。

フォト

Uくんという関西からきた関西なまりのある男でとにかく学業そっちのけで麻雀ばかりやっている典型的なダメ学生だった。
ある日彼と他3名でいつものとおり学生雀荘で麻雀を打っていたときのことだ。ゲームの最中にこのUは何の前触れもなく思いっきり放屁したのであった。その音がとてつもなくでかい音で「♪ボビー♪」と雷鳴をとどろかせたため、以後Uのあだ名は「ボビー」となったのであった。やだなあ、ボビー(-_-;)。麻雀ばっかやってないで勉強しろよ。
それの上を行くあだ名の奴がいた。こいつである。

フォト

子泣きじじいの風体にまだ就活まで数年あるのになぜかいつもパリっとした七三ヘアーであったKくんだ。こいつ小柄でチビでこんなご面相であるからしてあまりモテない残念なタイプの奴であったものの、どうもひと一倍性欲が強く、しじゅう「ああ一発やりたい」とばかり愚痴をこぼしているとんでもない奴だった。

実際彼はだれかれ構わず女の子に声掛けをすることで有名であった。女の子とのお〇んこ一発目当てのためにテニスサークルを3軒掛け持ちしていると噂されていた。
このKであるが、隣町の高校にまで出向いてなんと女子高生までナンパを始めだしておりとんでもない野郎であった。結局高校側から大学に苦情が入り、皆でどうもKが怪しいとなり級友のもの好きがなんとKの放課後の行状を尾行したところ、案の定Kは高校の正門まで出張して女子高生に声掛けしていたのであった。

その事実を知った級友たちは実は気の弱いKを脅してこの行為を学校にチクられたくなかったら俺らに飯おごれ!として昼飯や夜の宴会の財布をさせられてたかっていた。ああ大学に入ってもいじめってあるんだなあと遠目で彼らを眺めつつ暗澹とさせられたものだった。

そしてそこまでいじめられつつKにはやはりあだ名がつけられた。
「マグマン」と呼ばれていた。
これはそれだけタカられたくやしさからやがてマグマのように噴火して怒りだしタカっていた連中に逆襲したという勇ましいものではなく、Kが女の子であれば誰とでも「まぐわろう」としていたどスケベ根性をからかわれて「マグマン」と名付けられたのであった。このことを知った当初は僕もぎゃははははははははははは。ま、マグマン!と大笑いをさせられたものであったが、その後冷静になってこのあだ名について思いを抱いたのはやはりKくんが哀れでありあまり笑ってばかりいられないなあということだった。

後日談であるが僕らの就職時代はバブルの売り手市場であったので皆がけっこう有名な上場企業に就職していたものだった。そんな中でチビで風采の上がらないKくんは富士銀行だか三和銀行だか協和銀行だか忘れたが、なんと都市銀行の内定をとっており周囲を驚かせたのであった。

自身の就職先などどうでもよかったヘタレの僕は彼の偉業を素直に讃えておめでとうと彼に言ったところ、彼はニッとほほ笑んで喜んだ。
よくも銀行に踏み切ったねえと彼に言ったところ、彼はこう言い返した。
クラスの連中にさんざんタカられて悔しかったので、給料のいいところに就職しようと思ったからもう銀行しかなかったんだ!とのことであり、ああそういう動機で就職を決める奴もいるんだなあとなんだか神妙な思いにさせられたものだった。
子泣きじじいと言えばこの人だ。

フォト

僕の入社先の会社支店にいたT副部長だった。あだ名が子泣きじじいという実に直球な呼ばれ方ながらちっとも怒らない柔和な人であったものの、さすがにそう呼ばれるだけあっていい齢こいてなかなかなうすらバカだった。

過日この上司と同じグループで仕事をするようになりアフターファイブでもって皆でカラオケスナックに行ったときのことだ。T副部長僕や同じくグループが一緒になったくまちゃんたち準若手に対してこうい出したのであった。

T「おいおいお前ら!景気づけにキタちゃんの歌を歌え!」。

ヨ「???。キタちゃんって誰です?」。

T「おまえ知らないのかキタちゃん?ほれあれだ、『与作』歌っているキタちゃんだよ、キ・タ・ちゃ・ん♡」。

ヨ「…それってサブちゃんじゃないですか?T副部長?(-_-;)」。

T「あ。そうねえそうとも言うねえ。あはははははははは」。

やはりT副部長はバカだった。

フォト

まさかサブちゃんと個人的なつきあいがあったわけじゃねえよなあ(-_-;)。その後Tさんは皆から盛大に定年退職祝いをされていた。やはりあの気の良さのおかげで人気者でありよかったねえTさんと思ったものだった。
話は長くなったもののつまりはあだ名の話でありました。お粗末(-_-)。
昨日の昼飯。

フォト

きつねうどんにお餅も入れてみました。これじゃ痩せないわなあ僕(-_-;)。
1 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する