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2020年06月05日05:36

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賢者の証明

もう三日ほど前になるが、こちらのお方の訃報を得た。

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漫画家のジョージ秋山先生である。代表作としてはやはり44年間も連載が続いた人気作の「浮浪雲(はぐれぐも)」であろう。僕が中学生の時にちょっとこわもてで無頼な感じがした理科のI先生の職員室机上にこの作品があり、おおさすがI先生、おとこだなあと思わされた思い出がある。

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ひと目で秋山先生とわかる絵柄は特に女性を可愛く描くのが大きな特長だ。美保純さんが実写で臨んだ「ピンクのカーテン」も思い出深い。
「アシュラ」や「銭ゲバ」といった社会性の強い代表作もあるが僕これらは恥ずかしながら未読である。

秋山先生の作品で完読したのは「ザ・ムーン」くらいである。他には「デロリンマン」や「電撃ピンチー」や「花のよたろう」「超人晴子」「ラブリンモンロー」とかなりエッチな「うれしはずかし物語」などが思い出される。先生の作風はどれもキャラクターが立っていて時についていくのがたいへんだったがどれも強烈で素晴らしかったと思う。
享年77歳。また昭和平成を彩った漫画家の巨星がひとり。ご冥福をお祈りします。

さて昨日のA日新聞のオピニオン欄のインタビューが素晴らしかった。こちらのお方の登場である。

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社会学者で英国オックスフォード大学教授の苅谷剛彦(かりやたけひこ)先生である。65歳。経歴がなんと東大教授を経てオックスフォードで教鞭を執ってもう12年になる知の巨人である。

今回のテーマは「新型コロナ 9月入学 賛否の前に」とある。
見出しには「数なき政策議論」「変えたくて試算」「問題は教育不平等」とあり、先生の意見がただただ賢明であり恐れ入ったのであった。

そもこの先生今回何をしたかというと、コロナ騒動下において自身も何か貢献せねばならない、であれば日本の9月入学問題を看過できないのでそうだこれに関する数値的問題を試算して公表しようというのである。そして試算して公表したのであった。

さて極東島国のそんな問題に教鞭執る英国の名門大学が研究費を出してくれるはずもないので、苅谷先生自分の教え子の協力をあおいで無償でこの試算に取り組んだという。そして謝礼をポケマネから供出したというからまずそれだけでも偉い。

そして何を試算したかというと書かれていたのは二点だ。9月入学を実施すると、教員が万単位で不足することと、新たな待機児童が10万人単位で発生するという恐ろしい数値を実証的な研究で示したのであった。

これは日本政府に頼まれた営為ではないもののこのデータを公表して政府にも知らしめた。これによって国家元首の安倍のバカ他首脳たちが青い顔となってあわてて9月入学問題の推進を諦めたとあり、おお苅谷先生すげえなと感心させられた。

そしてそれについて苅谷先生のなお凄いところはこうだ。この試算を先生はあえて「エビデンス」と呼んでおりそれは実証的な根拠を示す。そしてそのエビデンスを公表してなお先生たちは9月入学の賛否についてはいっさい意見を述べず中立の立場を貫いたことだ。自分たちはあくまで学術研究データを供出する立場であり、政策について携わる権限はないというのでありいさぎよい。

ふつうこれだけのことを善意でしたのであれば自身たちの私見をひとことくらい言いたくもなろうがあくまで中立を守るのであり賢者である。

ただ先生にも今回の件で主張がありこうだ。この営為により目指したことは政府や国会での「議論を変えること」ではなく「議論のしかたを変えること」の提案であった。
それはすなわちエビデンス不在の教育議論を繰り返すことをやめさせて、実証的に議論を積み上げて政策を行なってほしいということである。

先生実は今回をさかのぼること20前にあの愚策の「ゆとり教育」問題でもエビデンスの重要性を提示していたとあった。そして導いたのが「学力低下」ではなく「学力格差」の懸念であったといい、それも当時において優れた提示であったと思われる。

苅谷先生の見方によれば、日本はまだまだ学問のグローバル化に本気ではないそうだ。本気ならばもっといち早くこんなコロナ禍に便乗したかたちではなくこの問題に着手していたはずだというのである。

また、なにも全国一律に9月入学に固執する必要もなく、学校単位で個別に9月入学を実施することでも運用によって可能ではないかと提言されており眼からウロコであった。なるほどねえ。

ちょっと論点がずれているかもしれないが、企業だって3月末の決算のところが多いけど、別の月を決算月にしている会社だって少なからずあるのだ。事実家内の職場は7月末が決算であるし、僕が以前勤めていた会社はある年まで5月しかも20日が決算日であった。なので学校もしかり、何も全国で足並みを揃えなくともいいのではないか。まあ当然義務境域に関しては論外であろうが。

そして苅谷先生はおっしゃった。今回のエビデンス試算で教育の「議論のしかた」を変えることはできなかった、と。やつらは相変わらず白黒つける言い合いでしか議論ができず失望したとあった。

では今回のこの試算公表は無駄であったかというとそうではないとあった。今回の営為を世に示したことによって後世の研究者たちにエビデンス提示の有用性を発信できたのではないか。そこに希望をもちたいとのことであった。

そう。賢者は常に憂えているのだ。それは憂国にとどまらずいわば憂界であろう。本当にいるんだね。苅谷先生のような知性の巨人が。いやまさに稀有の賢者でありました。こういうお方が日本人のなかにもいらしたことに僕は誇りを感じた次第である。

ときどき内容が難解でとかくスルーしてしまうことが多いオピニオン欄であるが、今回はしかと読めて有意義であった。苅谷先生、ありがとうございました。

そして今朝の一面からこちら。

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棋界の若きプリンス藤井聡太七段が17歳10か月の史上最年少でのタイトル戦挑戦権を得たという快挙である。棋聖戦だそうだ。ここにも若き「賢者」がおり頼もしいですね♡。
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