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2020年03月27日05:25

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志村正彦を知っていますか?

昨夜夜半の夕飯時に義母から娘の家内宛てに電話があり緊急のものであった。発端はこちらである。昨日の紙面一面だ。

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東京都が外出の自粛要請を発表した件である。仕事もできるだけ在宅勤務にせよとあった。これのおかげで各家庭の自宅引きこもりの備えの意識が急激に持ち上がってしまったようで、スーパーなどでお米が急激に買い込みされてしまいどこも欠品品薄の事態を招いてしまったのであった。

それがわが住まう隣県の神奈川でも伝播してしまったようで、県央に住む義弟一家が米を確保できないと悲鳴をあげ、夫婦で仕事で身動きがとれないからと義弟は両親である義父母に米の買い出しの奔走を依頼したのであった。このふたりも米を入手するのに苦労したらしく、はしごした先ではお米はおひとりひと袋までなど購入制限までされてしまったらしい。

そんなわけでお宅はだいじょうぶか?と義母は家内に電話をしてきたのであった。なのでまだ開店中である近所の酒屋に僕が急きょ出向いて精米の買い出しに行った。さすが辺境の酒屋だけあって米がまだ潤沢にあったので家内と相談して5kg入りを3袋まとめ買いをした。万一の義弟一家のこともあっての購入であった。

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なんだか東日本大震災直後のガソリン含めた品薄事態を想起させられた。ほんと、このウィルス災禍が早く収束してくれないかと祈るばかりである。

その昨日の夕方3時過ぎであった。ふとNHK総合を点けるとあのレミオロメンの藤巻亮太くんが珍しくもテレビに出てナレーションをしていたのでなにごとかと思った。すると番組タイトルは「にっぽんぐるり」とありサブタイトルは「フジファブリック 志村正彦がのこしたもの」となっていた。

フジファブリックはロックバンド名ということだけは知っていたもののどんな音楽なのか聴いたことは一度もなかったのでこの番組で初めて耳にすることとなった。
観ていて知ったのは驚きの事実であり、バンド中心メンバーでボーカルとギター担当であった志村正彦さんという方が実に10年前にまだ29歳の若さで早世していたことであった。

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しかし彼の歌声と紡ぐ歌詞にはいまなお多くのファンがおり彼の音楽は聴き継がれているとあり、ナレーションで自身ミュージシャンの藤巻くんもそのひとりであるとあった。

志村さんは若き頃より楽才があり地元富士吉田でロックバンドの活動をしており、繊維会社の倉庫だかを借りて練習していたがためにフジファブリックのバンド名になったとありなんだか明和電機みたいだなと一瞬思った。

彼の作る曲と歌詞には郷愁あふれる情感がたいへん豊かであり、それが認められて18歳で上京し、以後急逝するまでの11年間をロック活動にまい進した。上京して8年目には郷土愛の強い彼の願いは叶い、地元富士吉田でワンマンライブを開催するまでになったのであった。

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その間いろいろあったようだ。バンド結成時のメンバーとの別れ。デビュー仲間であったドラム担当の友の切り捨て。音楽一本で生きていく覚悟あってのその生きざまを見せつけられ、ああ音楽で身を立てるということはかくも残酷さを内包せねばならないのかとこちらまでちと苦しくなった。
切られたドラムの仲間の言葉はなれどこうであった。

「正彦が人づてでなく 直接自分に告げてくれたことに 感謝しています」。

泣かされた。仲間を友を思うということはこういうことなのだと知り胸が熱くなった。切られる方もつらいが切る方もつまりは身を切られる思いだったのであろう。

番組は彼と彼の曲に影響を受けた人々の思いがつづられていた。旧友で「志村正彦展」の実行委員を成した男性、鶴岡赤川花火大会の実行委員に奔走する男性、札幌でロックバンド運営に迷走する男性。みな志村さんの曲に心酔していた。曲名をおさえておいた。
「赤黄色の金木犀₍きんもくせい)」、「若者のすべて」、そしてデビュー曲で作者自身思い入れのある曲「茜色の夕日」。どれも切ない歌であり曲であった。

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ここで思ったのは彼はなぜに若くしてこの世を去ったのか。どうやら自殺などではないものの自宅でひとりひっそりと息を引き取っていたようである。検索資料では心停止か脳出血かといった具体的な記載はなく死因不明とあった。

若くして死した外国のミュージシャンといえばT・レックスのマーク・ボランにドアーズジム・モリソンにニルヴァーナのカート・コバーンあたりをすぐに思い出す。
マークは交通事故でモリソンは薬物でそしてカートは自殺だったと記憶する。みな伝説となってしまっていたが、日本にもいたんだね、志村正彦という伝説が。
進行役の藤巻くんの最後の語りがこちら。

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多くの人に影響を与えてきていまなお多くの人に「響いている」志村正彦。これからの僕の方向が決まった。志村さん所属時のフジファブリックのおっかけだ。当面コロナで外出ははばかられるので暖かくなったら中古店やCDショップに足を運ぶとしよう。楽しみである。

番組最後では初期のメンバーのひとりが彼をこう言っていた。彼は生来の天才ではなく、やはり彼も努力の天才であった、と。志村正彦。生きているうちに知っておけばよかったよ。ボーっと生きてきたからなあ俺(´;ω;`)ウゥゥ。

昨日の徹子の部屋に登場していたこちらの男性はインパクトじゅうぶんであった!

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名を木村昴さんといって当年29歳の若者だ。あ、志村さんの享年と一緒だな。彼はなんとあのドラえもんに登場するあのジャイアン担当の声優でありかつラッパーの歌手でもあるという異色の人なのである。驚いたのはジャイアンデビュー時がななななんとまだ中学生の14歳だったというのでありすごい。

父はドイツ人のオペラ歌手でロック好き、母は声楽家で豪快な性格とありそのあたりを受け継いでか彼も豪快そうだ。父方祖父は牧師だったそうだ。いやすごい。彼劇団も主宰しているそうである。期待してますよ、ジャイアン♡。
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