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2020年01月21日05:38

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続・この命だれのもの?

ハンバーグの作り方を改変してみた。

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見た目はいままでのものとまったく変わりがないものの中身を少し変えた。それまではふつうの合いびき肉のみを用いて作っていたが昨日は肉を配合すなわち合いびき肉5割とあらびき肉5割を混ぜてこしられてみた。

これには小さな理由があり、過日いつものスーパーの精肉コーナーで買い物をしていると、店員さんの届け待ちをしていた初老のご婦人がおり彼女が店員さんから受け取ったお肉が合いびきのあらびき肉だった。
あらびき肉。何にどうやって使うんだろうと思ったので僕はすかさずご婦人にちょっと失礼とそれを尋ねてみた。するとご婦人が上記の配合でハンバーグを作ると中にすき間ができてふんわり美味しくできるのよと教えてくれたのだった。

なのでご婦人を真似て僕も合いびき肉を求めた。この日は合いびき肉の大特売で年に何度もない百グラムあたり税別58円の出血特価だったので合いびき肉とあらびき肉をお目に買い込んで勇んで帰宅したものだった。

で、食べた。できたものを皿に盛りつける段で仕上がりが柔らかいことが分かった。食べるとたしかにふんわりと出来上がった。なれどあらびきの肉の食感が口に中に残るのが気になった。これを食べなれていないせいであり家内も同感であった。ハンバーグ大好きのめぐみは残さず食べたのでまあ成功ではあったものの次作をどうしようかちと検討に入る。まあ何ごとも試してみてこそである。ご婦人、ありがとうございました。

昨年末に録画しておいたNHKドキュメント選をようやく観た。年末年始は毎年のことであるが観たくて録画する番組が多いもののなぜか煩雑多忙で録画が貯まる一方なのだ。で、ようやく観たのがたいへん重たいテーマの「彼女は安楽死を選んだ」である。

たいへん重い神経の難病死病を患った52歳の女性が、日本では認められていない安楽死を国家で認められているスイスに渡り安楽死を施してもらう一部始終であった。
病名を控えなかったのであるが、ALSのように身体の機能が徐々に損なわれ動かなくなると同時に激しい痛みも伴うという苦病である。この病苦から彼女は開放されたく安らかな死を選んだということである。

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女性は本名を明かしており小島ミナさんという独身の女性だ。姉がふたりおり、生前はお姉さんふたりの看病と介護に支えられていたのであった。
なれどいずれ身体が動かなくなり言葉も失い意思表示ができなくなったとき、食事や着替えや排尿排便の世話になっても「ありがとう」のお礼のひと言さえ言えなくなってしまうのは耐えられないということであった。死病にとりつかれた彼女の悲しみくやしさを知り暗然とさせられた。

番組で驚いたのがその終末最期の時である。上の写真でミナさんがお姉さんふたりとの別れを惜しんだ後ほんのすぐ後に彼女は安楽に死んでいったのであった。

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虚を突かれた思いがして度肝を抜かれた。悲しい寂しい切ないどころではなく一瞬のことに驚愕させられた。これが死か!と思わされた。そして次に流れたテロップがこちらだ。

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死んでいくのはつらい。だがそれよりも生きているほうがつらい人もいるのだ。そしてその人を見送り喪う人の悲しみつらさはいかようであろうか。つい数分前まではまだあった命が損なわれるのである。そんなことやほか諸々を考えさせられた番組であった。

ここでは当事者たちのドキュメントに徹しており、識者専門家による安楽死の是非については語られてはいなかった。めいめい考えろということであろうか。
僕は思った。当事者のミナさんは苦情窮状を強く訴えており端的にこんなに苦しい生であるならば死んだ方がましということであった。そうは言ってもやはり肉親や世間との別れはつらいものの結果厳然と死を選んだのである。これを彼女の英断と思いたい。

安楽死について簡単に賛否を論ずるのは難しい。なれど人には生きる権利もあればそれこそ「死ぬ権利」というものもあるのではなかろうか。であれば今回のケースに至ってはミナさんの死ぬ権利をだれも奪えないのではないかと感じた。

一所懸命に生きるか。一所懸命に死ぬか。これは究極の表裏である。

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生前ミナさんは韓国の大学に渡りハングル語の通訳の仕事を得た才媛であった。ご冥福をお祈りします。

今朝の東の空に下弦の月が上がっていた。

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今日は長女めぐみの養護学校で遠足である。家内がいま弁当をせっせとこしらえている。なれど玉子焼きを焼いたのもハンバーグを焼いたのもミートスパをこしらえたのも僕。つまりは「外は家内なかは村田製作所」ということです。ははは(*´ω`*)。
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