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2020年03月29日00:53

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骨髄バンク前身「骨髄移植推進財団」がスカーレットになかった

今夜は雨が降っている雨

明日、どうなるんだろう洗濯物を干したかったが?(白)

今日は雨だし藤浪がコロナ感染で甲子園在住だし家で一日本を本

本当なら毎年、今頃、選抜の事を熱く書くんだけど

今朝も目覚ましで起き「スカーレット」を最終回だった

でも初めて貴美子と武志が本格的に作陶している場面が

琵琶湖に行き、帰ったら陶器に

そして二年後に飛んで武志の思い出を大崎先生と

武志の死は飛ばし、武志の作品を見て生きてるとか

大崎先生に皿に釉薬をとか何か違う気が

武志のモデル神山賢一が発病したのは29歳

更に神山賢一には姉がいたのにカットだった

そして骨髄バンクというものが1990年にはまだ日本にはなかった

貴美子のモデル清子さんはないなら作ればいいと考え、知り合いだった厚生省の人に相談、応援すると言ってくれ知人たちとつくった「神山賢一くんを救う会」に応援してくれた滋賀県の医師たちから、全国の医師会へと骨髄バンク設立に向けた輪が広がっていき、支援者も増え完全に一致しないまま、清子さんの末の妹、静子さん(百合子のモデル)から骨髄提供され移植手術をし快方に向かい骨髄バンクの前身となる「骨髄移植推進財団」が設立された。ここまで持って来て終わったら良かったと思う。

また賢一さんを白血病が襲い、もう手術はできない、と清子さんは言われた。日に日に賢一さんは弱っていき清子さんは賢一さんが最後に作った壺をお弟子さんの協力の元、信楽自然釉で焼き上げ1か月後。賢一さんは31歳で

なんか大事なものが抜けている最後だと思った…月曜はエールに

今夜の日記はもうとじよう
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