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2020年01月26日21:46

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麒麟がきた「加納口の戦い」

1541年、道三による土岐頼満(頼芸の弟)の毒殺を機に、頼芸と道三との対立抗争が始まり、1542年、道三は頼芸の大桑城を攻め、父の代から懇意であった頼芸とその子・頼次を尾張へ追放し、事実上の美濃国主に登りつめた。

尾張に追放された頼芸は織田信秀(織田信長の父)の後援を得ると、同じく道三に追放され朝倉孝景の庇護を受けていた頼純と連携し、美濃での土岐氏復活を掲げ、朝倉氏・織田氏の援助を得ると美濃へ侵攻した。

頼芸・頼純の土岐氏による美濃侵攻によって、頼芸は揖斐北方城に入り、頼純は革手城に復帰

1547年、織田信秀が大規模な稲葉山城攻めを仕掛けた「加納口の戦い」では、頼純・朝倉孝景・織田信秀あわせて2万5千の軍勢が道三の戦術の前に5000人の戦死者を出す大損害を受け、織田軍は壊滅寸前となり、織田信秀合は6〜7人を連れただけで逃げ帰る。

さらにこの年、土岐頼純が病死。あまりの都合良さにドラマの様に毒殺かもしれない

実際、2万5千対5千で勝ったのだから、今日の様な戦法だったかわからないが、相当、戦争は上手かったのだろう

実は今日の麒麟がきたは斎藤道三が美濃を完全に手にいれた重要な場面になる
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