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2020年01月19日23:06

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明智光秀のみた京都と堺

戦国時代の京都は戦乱の絶えなかった京都は室町時代には戦火が多かった。街としての規模は堺や安土よりも大きかった都市だったが応仁の乱で壊滅状態になり、応仁の乱以降も京が度々戦場になったので街の完全復興が進まないまま戦国時代の京都は市街、特に北側の大半が焼失し、荒廃していた。

兵庫の港が衰退し日明貿易の中継地点となったのが堺だった。堺は瀬戸内海航路の起点で山口、九州、土佐へ向かう船が物を運び日本最大の物流の拠点となっていた。金属産業が古くから栄え鋳物産業の国内の中心だった堺では刀や武具を伝統的に製造をしていた。そこに火縄銃が伝わり堺で大量に生産されるようになったのにはこれらの基礎となっていた

国際貿易により富を貯えた堺は「会合衆」と呼ばれた有力商人が町を治め、「自由・自治都市」として栄えた。また、町の周囲に濠をめぐらせ、守護大名や武士の侵入から町を守った。

今になって堺が衰退し神戸が栄えているが明智光秀の見た京都と堺はそんな感じだった
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