受験期が近づいてくる。九州の久留米に近いところに住んでる時に福岡に向かう道は混んで大変だった。学問の神とされている大宰府天満宮があったからだ。梅も奇麗な季節で、梅が枝餅なども美味しいが近づけたものではなかった、渋滞は嫌いだからまいった記憶がある。
受験も含め仕事でも家庭でもレジャーのはずのスポーツのチームでも近所の人間関係でも自分が自分らしく振る舞うことよりも、組織の中で期待される役割をきちんとこなすことが求められると心にプレッシャーを感じます。
ありのままの自分であってはいけない。親や学校、会社、組織、周囲の人間が期待するような自分でいなければならないという思いこみが成長すると同時に心の中に刷り込まれていくからです。
人から愛されて、受け入れられるためには、ありのままの自分であってはいけない、会社や組織、親や学校、周囲の人間が期待するような自分でいなければならないと恐れの感情を作り出し、人前で自分らしく振る舞うことを邪魔し、なぜ苦しいのに周囲の期待通りに走り続けているのか
なぜはリラックスして人生を楽しめないのか
と悩みながら、どうしてよいかわからずに、一生懸命、周囲の期待に応える努力を続ける事になってしまいます。
今まで、『こうでなければいけない』、『こうあるべきだ』、『こうにちがいない』と、かたくなに思い込んでいたものが制限が一つ外れたときに感じる、あの開放感はなんともいえません。
そこに気づいたとき、「もう、いいや」っていう感覚が待っています。そうである自分を受け入れる瞬間です。そのとき、何かに縛られた心の状態は晴れて解放された感じになります。
これを生活の中で参考にしていただければ幸いです。
ログインしてコメントを確認・投稿する