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2015年10月08日15:41

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大村先生のこと

 大村英昭という名前はもちろん、社会学という学問があることも、大学に入るまで知らなかった。
 私は人間科学部というところに入るために、大阪大学という学校を受験することを選んだ人間で、おまけに倫社主席で高校を出た人間だが、それでも、そんなものだった。大村先生にしても、そのへんのことは先刻承知で、講義のとっぱなに、社会学と世間知の違いの説明から入ったものだった。人間科学部1回生向け教養部の大村英昭社会学は、木曜三限に開講され、50人も入ればいっぱいの教室で行われた。このコマを人間科学部生向けと、大村先生が意識していたことは、間違いない。他の学部の学生が受講しようとして、ここは人科向けだから、単位がほしいなら、他の時間帯で取った方がいいとさとしていたのも(文・経・法向けのコマももっていた)、一回生のときに取り損なった人科生が、名講義の評判を聞いて、翌年その文・経・法向けで取ろうとして(一年のとき、木曜を休みにして週休二日のスケジュールを組むとそうなった)、人間科学部の学生は、木曜に取ってほしいと苦言を呈していたのも、私は直に目撃している。
 概論、通史を廃して、いかに、社会学の面白さを伝えるかに心を砕いていたかということは、亡くなったときに検索して出てきた、大村先生の文章で知った。最初のうちは一回ごとにトピックがかわり、レオン・フェスティンガーの『認知的不協和の理論』(訳文がひどいから、できれば英語で読めと言われた。当然ながら訳書を読んだ)やトマス・クーンの『科学革命の構造』といった本に、さっそく手を伸ばしたのは、大村先生の講義が面白かったからにほかならない。テキストを読む基本的な心構えや、本当に優秀な人はマルクス、フロイト、レヴィ・ストロースのうちのどれかをきちんと読んでいるといった言葉も記憶に残る。夏ごろからエミール・デュルケームの『自殺論』が始まり(私はすぐに世界の名著を購入したが、読了したのは約10年後だった)、ロバート・マートンのSS&Aと続くアノミー論が、もちろん、一年間の講義の主軸である。
 板書は極端に少なく、ノートも見ない。データや表を引用するときにメモから写すくらいで、もっぱらひとり喋りだった。そもそも、どんなに教室がざわついていようとも、関係なく、前列の学生に話しかけるような普通の声で喋り始め、話の内容で学生を黙らせてしまった。軽口、冗談を交えて話芸としても楽しかった――会田雄次なんかより、私の方がよっぽどいいことを言っていると思うんですがァと、ボヤイてみせたのがおかしかった――が、なにより中身があった。社会学の面白さの核を私は教わったし、それは、大村先生が意図したことだった。人間科学部1回生という、将来専門家になるかもしれない初心者への、社会学の講義として、それは出色のものであったにちがいない。社会学はもちろん、学者というものにならなかった私だが、受容するものが多く、大きな影響を与えた、それは名講義だった。
 私は人間科学部に入るために大阪大学に入ったと書いたが、振り返ると、人間科学部に入ったこと以上に、私に小さからぬ影響を与えたのは、阪大入試の世界史の問1で、東西交流が不可欠の文化史問題への対応を迫られたことと、教養での大村先生の講義のふたつだったと思う。
1977年に先生の社会学の講義を受けられたことを、とても幸福なことだったと考えています。
 
 
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