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2020年05月25日21:03

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【本】【ブックカバーチャレンジ7日/その5】

本日は、前回紹介したドウス昌代先生の畢生の傑作『ブリエラの解放者たち』1983年9月1日文藝春秋社より刊行。後に文春文庫から刊行を取り上げます。

1944年10月7日、ドイツ国境に近いフランスの町ブリエアにドイツ兵を追って真っ先に現われた米兵の肌は黄色く目は細く吊り上っていた。第二次大戦下のヨーロッパ戦線で最も勇敢に戦ったのは日系兵士だった。祖国アメリカへの忠誠心を自らの血で立証せんとハワイの島々から強制収容所から競って激戦地へ向った。

この世で最も尊敬するノンフィクション作家がドウス昌代先生でして『イサム・ノグチ 宿命の越境者』を最後に執筆活動を中断されているのが惜しまれますが、先生が一貫して取り上げているのが衝撃のデビュー作『東京ローズ』から扱っている日系アメリカ人の個人史でありまして、本書では第44回文藝春秋読者賞を受賞されております。

本書ではほとんどの隊員が日系アメリカ人により構成されていた。ヨーロッパ戦線に投入され、枢軸国相手に勇戦敢闘した。その激闘ぶりはのべ死傷率31.4%(のべ死傷者数9,486人)という数字が示している。アメリカ合衆国史上もっとも多くの勲章を受けた部隊としても知られる第442連隊戦闘団と第100歩兵大隊のそれぞれの兵士が辿った歴戦の記録を書いているのでありますが、本書の白眉は何で442連隊戦闘団が結成されるに至ったかを米国公文書館から埃まみれになりながら膨大な一次史料に当たって、4通の決定的な指令書を発掘したことと巻末を読んで貰えばビックリすると思うのですが取材協力者が優に100人を超えているのでありますが、その一人一人から膨大なインタビューを行って従来の戦記からの引用無しで戦闘記録を再現されていることでありまして、1944年10月24日、ボージュの森で第34師団141連隊第1大隊、通称「テキサス大隊」がドイツ軍に包囲されるという事件が起こった。彼らは救出困難とされ、「失われた大隊」と呼ばれ始めていたのですが、その救出の際にテキサス大隊の211名を救出するために、第442連隊戦闘団の216人が戦死し、600人以上が手足を失うなどの重傷を負った。その激戦故に今でも木材を加工する際にはチェーンソーは使わないとされています。その理由は生木に銃弾が減り込んでしまって作業の際にとても危険である事などを紹介されております。

本書の熱量たるや、後書きに至るまで本書に収まり切れなかったインタビューが挿入されており、日本語で書かれた日系人部隊を扱った本では、寡聞にしてこれを超えるものに出会ったことがありません。

最後に余談になりますが1993年の日本冒険小説協会最後の海外旅行となったハワイ大宴会では、内藤陳さんには申し訳ないですが、昼間は完全に別行動を取りハワイ島のヒロ市にある日系人歴史資料館や第442連隊戦闘団クラブ、そして第100歩兵大隊クラブを訪問したのでありますが、100歩兵大隊の名誉会員にドウス昌代先生のお姿がありました。
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