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2018年01月15日18:27

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【映画】『杉原千畝』

皆様、お今晩は。遅まきながら『杉原千畝』を鑑賞致しました。その感想です。


1934年、満洲。満洲国外交部で働く杉原千畝(唐沢寿明さま)は、独自の諜報網を駆使し、ソ連から北満鉄道の経営権を買い取る交渉を成立させる。しかし、ともに闘った仲間たちを失い、失意のうちに日本へ帰国。新たに念願の在モスクワ日本大使館への赴任を控えていたが、ソ連は千畝に【ペルソナ・ノン・グラータ (好ましからざる人物)】を発動、彼の入国を拒否した。1939年、外務省は、リトアニア・カウナスに領事館を開設し、責任者を千畝に命じた。そこで新たな相棒ペシュと諜報活動を開始。ヨーロッパ情勢を分析し日本に発信し続けていた。やがて第二次世界大戦が勃発、ナチス・ドイツに迫害され国を追われた多くのユダヤ難民が、カウナスの日本領事館へヴィザを求めてやって来た。日本政府の了承がないまま、千畝は通過ヴィザを発給することを決断する。

映画を観ていてビックリしたのは、リトアニアでの「命のヴィザ」発給が終盤に持ってきて盛り上げるのか?と思いきや、中盤にて処理していてソ連に併合され領事館が閉鎖された後でも、ホテルやカナウス駅でも時間の許す限り発給を続けていたと言う事でして、外務省からの圧力をノラリクラリと躱しながらギリギリまで頑張っていた事と、ヴィザを貰ってシベリア鉄道に乗ったは良いけれども赤軍兵士によって金目のものを全て奪い取られている様子が描かれています。ホント…この映画はゲシュタポと赤軍に対しては容赦と言うものがありません。
やれやれ、これで国外に脱出出来ると思っていた彼等を待っていたのはまさかのウラジストク足止めでして、確かに3000枚近くのヴィザを出していたら難民の群れが出来る訳でして、ここでの葛藤もキチンと描かれていることに感動したのでありました。此処で偉かったのはウラジオストク総領事代理・根井三郎さまでして本来漁業関係者にしか出せない日本行きの乗船許可証を発給して難民の救済にあたったとされています。

ここで日本に辿りついたユダヤ人の方々は強烈な印象を残したらしく安井仲治先生による写真集「流氓ユダヤ」を東京竹橋にある東京国立近代美術館にて鑑賞したことがあり再び此処で一つの円環を閉じたのでありました。

公開当時諸般の事情につき観る事が出来なかった本作ですが、御縁を得てこうして観ることが出来て良かったのであります。

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