今年の4月か5月頃、高校生の生徒から地球環境、特にプラスチックごみに関する意見を求められました。
その生徒の学校では、高校生による地球環境のシンポジウムのようなものに参加しているそうで、まずはクラスのグループで意見をまとめ、その後クラス単位にしてコンペし、最終的に選考に残ったいくつかのクラスが実際のシンポジウムに出席するらしいのです。
私が聞かれたのは、まずはクラスで意見を出し合う前の段階でしたが、あまりシンポジウムということは考えず、あくまでも個人的な考え方を答えました。
私は専門家ではないので詳しいことは全く分かりませんが、ごみ問題のようなことを、個人のモラルや倫理観に委ねるのは、実はかなり難しいように思います。
便利で豊かな世の中になればごみが増えるのは当然で、一度手にした豊かさ便利さに逆行して、ごみを減らすというのは、ほぼ不可能ではないでしょうか。
もちろん地球環境を守ることは大切なことは言うまでもありませんし、この秋の猛烈な台風も地球温暖化の影響であるのはほぼ間違いないところですので、このままにしておいて良いわけがないのです。
であれば、やはりごみが最終的に自然に戻るなど、環境に十分配慮されるようになる研究に巨額が投じられるような仕組みが必要で、実際問題としてこのような研究は予算がないばかりか、利益にもならないので、優秀な研究者がやりたがらないとのことなのです。
私は、例えばそういうところに大きなお金が集まるような国際的な枠組みなどを作るように、そういう方向性が求められるのではないかと生徒に話したのです。
すると、その生徒はその私の話をベースにしてクラスに意見を出し、その後様々に肉付けされたものと思いますが、最終的にその意見がクラスの代表になり、シンポジウムにも参加したそうなのです(もっとも参加したのはその生徒ではなくクラスの別の人だったとのことですが…)。
環境問題のようなことはとかく理想論が語られ、それを多くの人が共有するのに無理があることも多いはずで、高校生なりにそのことに気付いて、そのような比較的現実的な意見が採用されたようにも思います。
環境問題だけではありませんが、理想ばかりが語られ、現実的にできることがないがしろにされることは実に多いような気がしています。
社会的な問題ばかりでなく、個人的にも理想を追い求めるあまりに、目の前の大切なことを見落としてしまうとか、妥協ができず結果は散々なものになるとかもよくある話です。
受験や勉強についても同じで、現実的にやれることを進めていくしかないのに、志望校を妥協できず無理なやり方になることもあります。
数学や英語、国語などの制限時間が大きく影響するテストにおいては、50点の実力の子が50点を目指せば、60点になることも上手くいけば70点になることもありますが、その子が90点を目指せば30点しか取れないものです。
理想も大切な部分もあるとは思いますが、やはり今できること、頑張ればできそうなことを地道に続けていくという現実の先にある理想でないと仕方ありません。
理想は夢であってはいけないのだと私は考えているのです。
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