mixiユーザー(id:1418555)

2020年01月19日00:09

96 view

日本、危機一髪

チコちゃんで、なんで国語の授業は日本語でなくて国語なのかってのをやってた。
答えは、国をひとつにまとめるため。
江戸期の日本はいまの合衆国みたいな形で、全国に散らばった300余りの諸侯がそれぞれ独自の治世を敷いており、幕府はその取りまとめ役だった。
ひとつひとつが独立国なだけに、人の移動は頻繁ではなく、その地方ごとの言葉さえ話せれば暮らしていけた。

ところが明治維新によって、日本国が統一され、人の交流が盛んになるにつれ問題になったのが各地方によって異なる言語。
たとえば鹿児島の人と青森の人が話そうとしても、まったく意味が通じない。
そこで文語で話したり、候文や単語を並べて意思疎通をはかったりと工夫されるようになったが、国としても手をこまねいていたわけではなく、早くから標準国語の制定に向けて研究が始まる。

明治初期の人たちの感覚としては、東京は新しく都になったものの、本来、日本の都は京都だという認識が強かった。
そこで、東京の言葉を標準語にするか、京言葉を採るかで議論が続いた。
ようやく結論が出たのは明治37年で、この年、東京の教養のある中流家庭が使う言葉を日本国の標準語とするという通達が出される。
この頃になると、京都が都だった時代に生きていた人がどんどん亡くなっていっていて、影響力をなくしていたのが決定的だったとか。

それを聞いて、ほっと胸をなでおろしてしまった。
もし、京言葉が標準語になってたらと思ったらぞっとしたもん。
言葉は文化やん。
大阪弁は商売人の言葉で、標準語はビジネスマンの言葉。
同じようなことを言ってても、ニュアンスや背景はみんな違う。
京言葉が標準語になってたら、京都人のあのどけちでいけずで意地悪で排他的なあれが日本の文化になってたかも知れへんわけやん。
そしたら、日本人と日本国そのものがいまよりずっと生きにくいものになっていたのでは。
標準語ってのはほかの地方と比べるとずいぶん無機質やけど、それだけにあいまいさがなくて伝わりやすい。
もしそれがあいまいな表現だらけでたいてい裏の意味を持つ京言葉になってたらろ思うと、いや、そう考えるのすら嫌やわ。


0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する