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2019年10月18日05:19

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ジョーカー感想

映画、『ジョーカー』を観た。
賛否両論で巷では話題になっているらしいが、そんなことを知らずに行ったら満席で席が取れず、次の回で観ることになった。
見終わった今、この映画が若い人達に(結構女子もいっぱい居てビックリした)こんなにも求められている、ということ自体に、日本という国の病理を感じた。
以下、ネタバレ存分に有りますのでご注意を。

この作品は、バットマンの敵役であるジョーカー誕生の瞬間を描いた映画である。
だが、一応体裁としては「バットマンシリーズ」始まりの物語としながら、独立した作品として見られるような作りになっている。

ジョーカーを「超人的な力をもつダークヒーロー」としては描かず、
不良少年に殴られれば、抵抗も出来ずに血をながすような普通の人間として描き、
アメコミ作品に見られるようなコミカルな演出も一切排除されている。(寧ろ、物語の中では常に重苦しく息の詰まるような空気が流れ続ける)

コメディアンを夢見ながら、大道芸人のピエロとして店の宣伝をして日銭を稼ぐ彼は、古い団地の一角で老いた母親の介護をしながら暮らしている。
団地へと連なる長い階段を、疲れきった背中を引きずりながら登るシーンが印象に残る。
そんな冒頭のシーンを見ながら、私の頭の中ではすでにこの物語を「バットマンに出てくるジョーカー」ではなく、
「一介の痩せ細った貧相な顔立ちの中年男」の物語として捉え始めていた。

世間からジョーカーと呼ばれ始める以前の男の名を、「アーサー・フラック」と言う。

アーサーは精神疾患を持ち福祉支援を受けていたが、それも市の財政難で一方的に打ち切られる。
そんな最中、幾つもの不運が彼を襲う。
仕事中に少年らに襲われたアーサーに、仕事仲間が護身のためにと銃を手渡す。
仕事先の上司から首を宣告され、うちひしがれていたある日、
彼は、電車内で口論になった会社員を、はずみで銃で撃ち殺してしまう。

その殺人が、証券会社で働くエリートサラリーマンをターゲットにした、一種のテロ行為のように報道され、
彼は「ジョーカー」と呼ばれ、格差社会に苦しむ人々のカリスマとなっていく。

その後も、アーサーには様々な不運が待ち受ける。
彼は次第に心を病んでいくが、ある事を切っ掛けに、全てが裏返る。

傷つけられ、蔑まれ、常に弱者であった彼が、自らの意思で殺意を振りかざす。
偶然のように手にした銃を、
彼自身の目的の為に使用するようになる切っ掛けが、彼を「アーサー」から「ジョーカー」へと変える。

不安でオドオドしていた彼はもうそこにはいない。
かつて、みすぼらしい背中を丸めて登った階段を、
今度はジョーカーの真っ赤な衣装に身を包み、踊るようにステップを踏み鳴らし優雅に降りる、その鮮やかな対比。

最高に、シビれた。

私がこの映画を観始めた時に危惧したのは、これが私にとって「鬱映画」になるのでは?という事だった。
「ダンサー・インザダーク」や「誰も知らない」、「ライフイズ・ビューティフル」ら私の三大鬱映画に、この弱く悲しい男の物語が連なるのではないか?と恐れた。

だが、アーサーは、その身に降り掛かる不幸や不運を浴びて、全てを裏返し、ジョーカーへと産まれ変わった。

虐げられる弱者が、他者に恐れられ、敬まわれる強者へと転生する、
芋虫が揚羽蝶に成る変態の瞬間を、映画館の大画面で観る事ができた。

なんというか、鬱の正反対、最高の気分だった。

気づけば私は、世紀の大犯罪者に感情移入させられていたのだ。

…と、これが、この物語が流行るこの時代がヤバイんじゃないのか?という話で。

私がヤバイのは前からなので別にいいのだが、私みたいな感想を抱くひとばかりになったら日本ヤバイんじゃないの…という。

まぁ、きっと既に日本はやばかったんだろう。
これが受け入れられてる世界中、ヤバイんだろう、きっと。

私はこのヤバイ社会を歓迎する。

追い詰められた弱者が犯罪に走るこの物語を、偽善者の観客達が批判して否定するような社会でなくて良かった。

みんなヤバイんだ。
だから、自分の弱さや、攻撃性を否定して、見ないふりをしないで、
自分の事としてこの物語を読み解く事が出来るんだ。

その事に、なんだか凄く興奮した。

やがて、ジョーカーはバットマンに倒されるのかもしれない。
でも、その度に、何度でも何度でも、ジョーカーは甦る。

何故なら、人間の半分は、「悪」で出来ているのだから。

私の半分は、あなたの半分は、「ジョーカー」なのだ。

だから、「悪は、永久に不滅」なのだ。
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