「古畑任三郎」を見返していたら落語家の犯行の話があって、あそう言えば落語を聞いていなかった時にはいろいろとピンとこなかった部分があったから今回はちょっとは分かるかしら、と思ってストーリーとはまた別の楽しみをもって視聴しました。
殺された兄弟子がダイイングメッセージとして握り締めたものが煮干し(だと見た)で、この意味が落語の噺にかけられていたというくだり。
正直、ダイイングメッセージ、もしや、と思うことはできた。
煮干しだからね……あっ!!「擬宝珠(ぎぼし)」か!!!!!!
若旦那も出てくる!
五重塔の頂上の擬宝珠を舐めたくて気を病む話…これに今回の犯人を暗示させるところって……
どこ?なに??
って考えてたら、「煮干し」じゃなくって「干物」をイメージしなきゃならなかったんだって、ダジャレじゃなかったのね(笑)だったらそりゃああたしにだって分かりますよ、「干物箱」ですか…あーあー成程……
たださ、古畑さんが新作ばかりやっていて古典をまるきり勉強していなくて分からないという犯人の落語家さんに噺の内容を説明していたけど、ちょっと早口で滔滔過ぎたと思うんだヨネ。落語をあまり聞かなくて分からない視聴者に対しても不親切だったような気がしたなぁ、もう少し丁寧に「干物箱」の内容から犯人がそれと似たようなセッティングをしたという説明をしてくれても良かったんじゃないかちら。
あと他にも「鰻の幇間」太鼓持ちの一八の例えとか出てきて、ハイハイ、とか思えたのも楽しかったデス
新作落語家役だったからというのもあるかもだけど、あんまり落語家っぽくなかったナ、これについては仕方ないけど、最近見るCMで落語家が高座でその会社の仕事内容を噺に見立てて説明するやつ、あれを見ても不自然なんだよなと思うのはなぜなんだろうか、ということを考えていた。演技が上手い下手とかではない他の理由とは。
結局江戸弁使ってはいるけれど、江戸弁という言葉を使って現代の人が昔語りをしているだけにしか聞こえないから違和感しかない。江戸っ子そのものが話しているように見せていないからなんだな、と思って。
語りに心惹かれる落語家さんの話しぶりを聞いていると、そこにはその時代の人たちの息遣いを感じられるから。
その息遣いなるものが「江戸の風を吹かせることができる」かどうか、なんだろうか。
それと茶目っ気、ちょっとしたユーモア、これを効かせられるかどうかも大きいと思うんだよナ、言い回しにそれらが感じられるとその噺の登場人物たちに親近感がわいてより一層噺に身が入る
志ん朝さんの「抜け雀」で、朝日が当たると衝立から抜け出る雀が休めるように止まり木を描いてやると言ってきたとあるお武家さまへ、
「端っこの方にちょこーっとでいいですよ、失敗したら切り取れるように」
と宿屋の主人が言うんだけど、この「ちょこーっと」の言い方…
すごく可愛らしくて何度でも聞いちゃう
この宿屋の旦那って、正直者で根はイイ人だけど人を見る目がなくて(笑)貧乏くじを引きがちで気が弱くて、でも意外としっかりしているところがあるけど天然、みたいな人物なのかな、ちょっと応援してあげたくなるな、と思わせる(笑)。
この主人がいるから「抜け雀」も面白くってダイスキな噺の一つだよん
噺の内容はもとより語りが楽しくて何度も聞きたくなる、っていうのがあるのもステキじゃない?
感動したり感銘を受けたりスカッとしたり大笑いできたり怖かったりっていう内容の面白さは当たり前なんだけど、その噺を生かすも殺すもやはり語り部である人間の力量がものをいうんだなぁ、芸人さんというものは言葉一つで渡っていく、すごいものだと思いますね
だからいやみ亭いやみさん…妖怪の力を借りてどーしよーもないダジャレで笑いを取って真打ち取ろうと思わないで頑張って修行してくださいよね
(笑←4期鬼太郎さんより。柳家一門でしたよ喬太郎さーん笑)
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