mixiユーザー(id:1397418)

2020年02月25日23:37

103 view

能、変わらぬ世界

能を生鑑賞した。
観世流シテ方の能楽師である橋岡久太郎が主催する「舞謡會」という団体の教え子たちの発表会なのだが、素人の発表会ということで、国立能楽堂の公演だが無料なのである。
まあ、僕などプロアマの違いなど大してわからないので、無料で国立能楽堂で能が鑑賞できるならいいか、というわけで、初めての能鑑賞。
行ってみると11時開演で、18時過ぎまでビッシリ。さすがにこれだけ観るとクタクタだろうから、まあ適当なとこで切り上げればいいかと。
プログラムをみてみると、実際の能は四曲だけである。その他は、独謡というひとりで謡を発表するものや、舞囃子という仕舞のみを発表するもので埋め尽くされていた。ともかくなるべく生徒を発表させようということか?
出演者は、さすがに年配者が多いものの、30代40代くらいの人もチラホラいた。
中には、サポートでプロの能楽師も混ざっているらしく、まあまあ壮観だった。
能は、翁、高砂、楊貴妃、安達が原の四曲。そのうち、翁と楊貴妃は観た。
安達が原は是非みたかったのだが、かなり後半のほうの発表だったため、さすがに断念した。一緒に行った長男は「般若が登場する」という理由で観たがっていたが、、
それ以外に、巴、羽衣、井筒、勧進帳など、能としてみたい演目もあったが、それらは独謡とか舞囃子の発表だったので、ちょっと残念だった。

Youtubeでたまに能はみているんだが、生鑑賞はどうだったか、というと、まあ良かったかなあ。
僕などは、どうも物語重視しちゃう性格なので(現代人は押しなべてそうだろうが)、古語で謡われる謡を一所懸命に聴き取ろうとしてしまうが、やはりついていけずに途中断念。ただ、どれもストーリーは大まかに知っているので、何の話かはわかる。
でもって、能って、物語に観客を入らせることを求めていないんだなーって思った。
前場でワキとシテがやり取りする場面などは、科白がかっているが、シテの主観の世界に入り込むと、謡、舞、囃子が渾然一体となり、どちらかいえば、言葉で捉えることを拒絶しているようだ。
それが時には眠気をいざないウトウトしてしまうのだが、能の鑑賞は「それでも良い」という。
例えば、能の観念で「序破急」というものがあるが、序の舞など、相当にスローテンポで、それに囃子のリズムが催眠効果になる。そうすると、観客は夢うつつというか、ウツラウツラとまどろんでくるんだが、そこに破の舞で一気に静寂が破られる。その瞬間、ハっと目が覚める。
なるほど、こういう感覚か、というのが経験できた。
それにしても、能楽師の身体技能は物凄いものがある。歩くのでも立つのでも、舞うのでも、全ての動作が「型」にはまっているのだが、ひとつも崩さずにあの所作を行うって物凄いエネルギーだ。能楽師は強靭な体幹をしているということを聞いたことがあるが、なるほど、と思う。
でまあ、素人の発表会なので、Youtubeやテレビで鑑賞したプロの能楽師との差もわかってしまうのだが、演者たちは決して下手なわけではないと思うが、プロの能楽師がいかに凄いかということも浮き彫りになった。
あと、女性も何人か出ていたが、シテはやはり男じゃないと難しいのかなーという気がした。
シテのように能面をつけながら、謡と舞もこなすとなると、相当な体力が必要だし、特に発声が女性だと弱くなるかなあ、、と。
仕舞とか謡だけだと、特に女物の三番目能は、女性のほうがいいかもしれない。例えば、井筒の独謡は女性が発表したんだが、Youtubeでみたプロの演目よりも、悲哀感が溢れていて、聴いていて感極まってしまった。

とまあ、こうやって僕のようなよくわかっていない素人があーだこーだ言うこと自体おこがましいのだが、室町時代に観阿弥・世阿弥親子が確立してから600年変わらずに守られている能の世界って、凄いの一言だ。
出展となっているものも、「源氏物語」「平家物語」「伊勢物語」「古事記」といった古典から、「道成寺縁起」のような縁起物とか民間伝承などもあり、それらの不変的な古典の世界の、コアな部分のみを抽出している。
それに、一応、簡単なストーリーはあるものの、そこがメインではなく、説明を極力省いてシンプルに人間の精神の内面に訴えかけてくるから、多分、解釈も無限に広がっていくだろう。
よく、能は鑑賞する年齢によって見方が違ってくるというが、それもわかる気がする。
一応、古典とか、歴史的事実に基づいているものの、人生経験が蓄積されるほどに、その主人公の内面の葛藤を自分にシンクロされるだろう。
例えば、今回観た「楊貴妃」だと、以前なら、あの世にいった楊貴妃がこの世に未練を持っているだけの話と捉えていただろう。
しかし今回みて思ったのは、楊貴妃は実は、あの世にもいけず、玄宗皇帝を惑わせたその美貌から、不老不死の世界に行かされている。
死ぬこともできず、かといって現世に戻ることも許されず、永久の生き地獄を与えられているわけである。絶世の美貌を持って生まれたがために運命付けられた不幸の哀しみを舞で表現するのだが、それが何ともいえぬ哀れさを感じさせる。
恐らく、若い頃には、そういう感覚で観ることはできなかっただろう。
(余談ですが、シテを演じた女性の方が、あまりうまくなくちょっと残念な感じではあった。脚本が素晴らしい能でも、演じる能楽師の腕が大事なんだなーって生意気にも思ってしまった)
多分、能というのは、同じ演目を何度も観ることによって、味わいが出てくるのだろう。
このように、言葉で重ねていくのではなく、自分のその時々の思いを能にぶつけてみて、何を感じるか、だろうなあ。
次は、プロの能楽師の公演を観に行きたいね。ただ、能の公演は高い、、ちょいと有名な人が出演すると、正面席で12000円もするんだもの・・
もともとは、農民の田楽とか申楽だったんだから、もう少し庶民寄りの値段にしてもいいのにね。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年02月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829

最近の日記

もっと見る