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2017年01月29日21:17

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片手で拍手はできない

 こないだ、サーチナの記事で見かけた諺の件。
 非常に気になって、少し深く調べてみました。

 問題の諺は「片手で拍手はできない」という言葉。
 調べてみると、日本では弘法大師の名言として「片手だけでは拍手はできない。片足だけでは歩むことができない」という言葉が伝えられています。言うまでもなく、一人ぼっちではなにごとも成し遂げられないという、協力することの尊さを説く言葉です。
 アラブの諺にも、ほぼ同じ「イエド・ワーフダ・ラ・テュサファク」(イエド=手、ワーフダ=ひとつ、片方、ラ=〜できない、テュサファク=拍手)という諺があり、これも一人ぼっちの無力さを表す言葉です。アラブは家族社会なので、独身者に結婚を勧めるときにも使われる言葉だとか。

 サーチナの今日頭条の元記事はどーしても見つからなかったのですが、中国で一般的によく使われる言葉として「孤掌難鳴」「一手拍不響」「一個巴掌拍不響(「巴掌」は「手のひら」の意味)」などという言い回しがあるようです。
 古く『韓非子(功名)』に由来する言葉で、「孤掌難鳴(こしょうなんめい:孤掌鳴らし難し)」は日本でも使われる四文字熟語です。

> 人主之患、在莫之応、故曰、一手独拍、雖疾無声
(君主の憂いは命に応ずる者がないことである。ゆえに、片手だけで手を拍てば、手を疾く振れど音は無いという)

 つまり、由来から読みとる限り、アラブの諺と同義です。
 問題は「一個(个)巴掌拍不響(「響」は「口編の向」)」。
 白水社の中国語辞典には以下のような訳が載っています。

> ((ことわざ)) (1つのてのひらだけでは鳴らない→)トラブルには必ず双方に責任がある.

 実際、元記事の筆者はこちらの意味で使っているようです。
 言葉の由来は、おそらく「孤掌難鳴」と一緒と思われるのに、どうしてこんな意味になってしまったのでしょう?

 同じ記事で挙げられている「時勢を知る者は俊傑」は、おそらく『十八史略』の「識時務者在俊傑(時務を識る者は俊傑にあり)」です。
 本来は「時代に必要とされる役割に気づく者は優れた人物である」という意味です。日本では幕末の志士たちがしばしば使った言葉だとか。ですが、記事では「機を見るに敏」程度の意味で使われているようです。

 以前、『礼記』の「礼尚往来(礼は往来を尊ぶ)」が「贈り物のやり取りは煩わしい」とか「やられたら、やり返す」の意味で使われていると知って愕然としたことがあります。
 中国では諺の意味を好ましくない方向に置き換えて使う傾向がある気がします。
 コレって、文化とか民族性の問題なんでしょうか。



(参考)
中国社会をダメにしてしまった、3つの「ことわざ」=中国メディア-サーチナ http://news.searchina.net/id/1627931?page=1#Q9gsZSB.twitter_tweet_count_no_m

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