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2016年11月22日15:39

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『黄禍論梗概』

 電子出版の素晴らしい点は、いったん電子化された出版物なら簡単には廃棄処分や絶版にならないことです。権利関係者の要求がない限り、どんな売れてないマイナーなものでもいつまでも保存され続けます。
 で、本気で原本にあたろうとしたら国会図書館に行かなきゃ閲覧できないような古い本が、読むだけならKindleストアに100円+消費税払えばダウンロードできてしまうわけです。
 その結果、森鴎外がと学会の大先輩であることを発見したりしてしまったのですよ。

 問題の本は『黄禍論梗概』(森林太郎著、1904年)。
 私はKindleストアで購入しましたが、この本は国会図書館デジタルコレクションで公開されており、簡単にただで読めます。偉いぞ、国会図書館。
 内容はヘルマン・フォン・サムソン−ヒムメルスチェルナ(Hermann von Samson-Himmelstjerna)という人が1902年に出した『道徳問題としての黄禍(DIE GELBE GEFAHR ALS MORALPROBLEM)』(Berlin: Deutscher Kolonial-Verlag)という本を森鴎外が要約したものです。
 日露戦争直前に鴎外が早稲田大学で行った課外講義を単行本として出版したもので、本文70ページのごく薄い本です。
 テーマになっている「黄禍論」とは19世紀末くらいからヨーロッパで流布した、黄色人種の脅威を説く思想のことです。
 ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世が熱心な支持者でしたが、ドイツ皇帝が黄禍とみなしていたのは黄色人種全体ではなく、はっきり日本人を指していました。どういうわけか、伝統的にドイツ人は中国贔屓で、日本人を嫌っている人が意外と多い。
 この『道徳問題としての黄禍』はまさにそういう見解を代表する著作といえます。
 ところが、内容がかなりトンデモだったりするのです。

 鴎外の解説によれば、サムソン−ヒムメルスチェルナの説く黄禍には平和的黄禍と戦争的黄禍の二通りがある。前者は商業や工業の競争における脅威、後者は直接の戦争が起きる危険。果たせるかな、いま現在まさに問題になっている話と一致してたりします。
 戦争が起きる土壌としては人種間の憎悪があり、日本人と中国人はほぼ同じ程度に白色人種を憎んでいる。中国人はそれを表に出しているが、日本人は政略として隠しているのでちょっとばかり白人に好意的に見えるだけと論者は述べています。どんだけ日本人、陰険なんだ。
 中国人や日本人が白人とトラブルを抱えるようになったの原因は良くも悪しくもキリスト教と宣教師のせいと論者は主張しています。
 実は著者は宗教にネガティブなイメージを持っているらしい。あとのほうでも、日本人は神を信仰しているので道徳的に欠点が多いが、中国人は神を信仰せずに優れた道徳を持っていると誉めちぎってたりするのですよ。
 ヨーロッパの技術や資本によって中国や日本の商工業が発達すると、輸出が急速に増える。日本に投資したイギリスは、その結果として打撃をこうむっている。日本くらいならいくら大きくなってもたいしたことはない。将来、中国の商工業が発展したらイギリスどころかドイツでさえも敵わないだろう。
 ここから先、著者は日本と中国の比較を始めます。
 これが、あー、何というか……。

 まず、中国は大きく、日本は小さい。人口も中国は五億三千七百万、日本はわずかに四千五百万。大きさや人口に大差があるが、中国人と日本人とでは中身に大きな差がある。
 それを説明するためにオーストリーの政治家アレクサンデル・フォン・ヒュブネルの著作を引用。ヒュプネルは「日本人は人の好い子供」「中国人は真面目な大人」と書いています。日本人をバカにしてますが、愛する意味あいもある。
 しかし、サムソン−ヒムメルスチェルナは単に中国は老獪、日本は弱輩と解釈しています。具体的には以下の通り。
○精神上の能力の比較
 日本人には思考力がなく、抽象的に理屈を考えることができない。だから、物真似をする。日本人が上手くやっているように見えても、それは見本が良かっただけ。
 対して、中国人は沈着で外から来たものをむやみに寄せ付けない。ロシアの軍人プチェタは中国の高級官僚は思想が深遠で単純にして明確だが、これらの長所は教育の成果ではなく持って生まれた天賦の資質だと述べている。西洋人は中国は旧態依然としていると思っているが、彼らが古きを尊ぶのでそう見えるだけで学問は進んでいる。
○道徳の比較
 日本人は悪い意味で唯物家で、古を尊ぶことを知らず、固有の道徳がない。儒教、仏教を導入して道徳らしきものを知ったにすぎない。
 中国人は昔から続く道徳を持っており、それが守られるならばモンゴル人でも満州人でも中国の皇帝になることができる。だいじなのは道徳。
 日本人は不道徳にも理由なしに離婚する。この部分に疑問を持った鴎外は根拠とされているヒュブネルの本をチェックしたけれど、何も見当たらないので何かの間違いだろうと言っています。また、混浴の習慣とか、女性が窓を開けたまま化粧するとか、日本人がいかに不道徳か述べています。
 そこいくと、中国人が結婚するのは子孫を残すためであり、治国平天下の基本。だからめったに離婚しない。血族結婚を避けるため同姓と結婚しない。お墓を大事にするのも化けて出るのが怖いのではなく古を尊ぶから。
 一夫多妻の風習があることを批判する西洋人もいるが、ヨーロッパでは奸通ものの小説・戯曲が大人気ではないか。
 西洋人は子供を作るために結婚するという本質を忘れたから、女性労働など女子問題が発生する、避妊・堕胎する、云々。
 ここらへんまで来ると、サムソン−ヒムメルスチェルナ先生の道徳論がかなり暴走してきます。
○宗教の比較
 日本人には神道という宗教があり、たびたび宗教が原因で戦争している。
 中国は素晴らしいことに宗教がない。
 著者によると宗教とは人格ある神を信じるもので、宗教機関として巫祝(ふしゅく、巫女だの神主だのこと)がいる。巫祝が国政を乱す。日本の巫祝も国政を乱したという。
 鴎外は日本の巫祝が何を指しているのかわからないと言ってます。出典が書かれているので調べたけど、日本の国乱としては明治維新のときの神仏混淆の禁止くらいしか出てないそうです。
 マルクスは19世紀半ばには唯物史観を確立していたはずですが、サムソン−ヒムメルスチェルナは唯物主義と宗教、両方批判している。
 中国人は天や先祖を祭るが、人格のある神は信仰していないから無宗教。
 このへんは著者の思想が色濃く反映しているようです。
○軍事的気風の比較
 日本人は軍事的気風に富んでいると言われ、古代の英雄的神話があり戦争を好むようにみえる。実際は精神のバランスがとれてないので喧嘩っ早いだけ。
 鴎外は参考文献にあがった日本の神話が別に戦争的神話とは思えないと言ってます。
 一方、論者に言わせると中国人は古来戦争のことに長じており、苦戦に耐え、忠誠心も篤い。
 日清戦争で中国が負けたのは売官の弊害がたまたま現れて、無能の将軍が指揮したからで、兵は強い。
 論者はドイツ人なので好戦的なのは必ずしも非難するにあたらないようです。
○政治の比較
 日本は封建制が長く、国民は僥倖心を起こしやすい。
 しかるに中国人は始皇帝が廃してから封建制はなくなった(?)。
 中国は古来最も賢明な人物に政治を委ねることを原則とする理想国家である。国民も豊かで聡明なので、役人もわずかしかいない。(この部分、少し長い)
 中国では良心の自由、信教の自由、言論の自由、出版の自由、集会の自由、交通の自由がある。中国は無類の道徳国なので自由な政治が行われるが、けして無政府状態にならない。
○教育の比較
 日本では教育は下層にまで行き渡っていない。鴎外が引用文献に当たったところ、日本の下級人民は仏教の儀式は知っていても精神まで理解していないと書いてあったのを、教育がないと解釈していたと判明。
 中国に学者が少ないのは覚える必要のある字が多いから。
○農業の比較
 封建時代の日本の農民は自由がなく、今も大差ない。
 中国の農業は古来から栄え続けていて、ものすごく豊か。地租も極端に安い。
○商工業の比較
 日本は商人の信用がない(士農工商のこと?)。
 反して中国では国民が商業の精神に富んでいて、錆びた縫針でも銭にするすべを知っている(誉めることか?)。取引はすべて口約束で済む、組合組織が完璧で加入も容易。
○開化全体の比較
 日本の開化は自発的なものではなくヨーロッパから学んだだけで、しかも不十分。
 中国の開化は中国人の自発的なもので、あらゆるものが中国独自。とにかく中国は豊かで国民性に優れており、今の政府の失政が改められれば、ヨーロッパなんぞ真似なくとも昔通りに戻すだけで、すごい国になるだろう。

 以上が日中の比較。ここまで読んで、笑ってない日本人は怒っているでしょう。
 ヨーロッパは日本ごときにかなりの黄禍を被っているのに、中国のような大きく優れた国が覚醒したらどうなるだろうというのが、この本の黄禍論のキモ。
 このあと、論者は長々と中国を見習って西洋も改革すべきだと述べています。
 サムソン−ヒムメルスチェルナは日本と違い中国になら、西洋が刺激されるのは良いことだと思っていたようです。

 著者について鴎外は「外に澤山著述のある人ではないやうでムります」と書いていますが、ググると『反トルストイ(Anti-Tolstoi)』(1902年)、『アレクサンドル三世治下のロシア(Russland unter Alexander III. mit ruckblicken auf die jungste vergangenheit. St. Petersburger schilderungen und briefe)』(1891年)など現在でも出版されている著作があり、なかなかの著述家のようです。また、サムソン−ヒムメルスチェルナ家はけっこう名家らしい。
 そういう人が数多くの参考文献を引用しながら、『道徳問題としての黄禍』のようなトンデモ本を書いてしまったというのは非常に興味深いことです。
 また、森鴎外がこんな本を参考文献をちゃんとチェックしてまで紹介しているのも、なかなか示唆に富んでいるといえるでしょう。
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