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2022年01月20日15:12

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森町の由来 森市場の発展

慶長五年(1600)、太田川は,未曽有の大水害で、古町の上町が川欠けして、仲町通りに
白幡方、河原町近辺に、太田方の連中が町割りして移り住んだ。これ以前古町のうちの下

町が先に川欠けして現在の本町に西脇守山の連中が町割りして移り住んだ。慶長五年以降
太田川の流路が大きく変わって、三島山は太田川の左岸から右岸となり慶長九年の検知を

受け「森町村」が生まれた。森の街並みは、中世市場開設の法則を備え「阿弥陀堂(
三嶋神社)市神(市件嶋神鎮祭・禁制高札場野尻家)・御堂(西光寺)高師(万日堂)

などが、町並みとともに配置されている。その後正保四年(1647)に上新町・下新町等
が新たに町割りされ、今の森町の街並みがほぼ完成した。文政十三年(1830)には、

三百五十八軒、人口千三百九十五人,商人149軒、茶屋24軒、職人40軒、旅籠屋
24軒であった。「森の仲町なぜ日が照らぬ 秋葉道者の笠の影」と唱われて町の繁栄

ぶりが伺い知ることが出来る。江戸から伝播した、祭り屋台やお囃子は、街中に根付い
て、華麗なる屋台が造営された。


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