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2008年03月09日22:06

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山本順也さん!!(2)

(続きます)

萩尾望都にしろ、他の作家にしろ決して出だしは順風満帆ではなかった。人気が出るまではさんざん叩かれた。また最初の講談社の元担当さんにしろ、集英社の倉持さんにしろ、一生懸命親身になっていたはずで、それと社内的な問題はまた別。ただ、手塚治虫、小松左京、ほかの作家さんからもエールがあったし、自分には売れるという確信はあった。

以前、『トーマの心臓』の扉絵がTVの鑑定団に出てたのでビックリ。連載当時、雑誌での人気が低迷してたので、アンケートをあげるために読者に扉絵プレゼントしてたもの。(有名エピソード)山本さんはそのとき担当ではなかったので知らなかった。

山本さんは話を聞いていてもわかるように、編集者としては会社寄りではなく、圧倒的に作家寄りであること。出版社が企業として拡大したとき、編集者もまた様変わりしたとおっしゃってました。
作家はふつうのサラリーマンの3倍は稼がないと生活が成り立たない。以前『橋のない川』の住井すゑが遊びにきたとき、新潮社の専属だったが、旅行から観劇からすべて費用を出していた。昔のマンガ業界の場合、専属といってもせいぜい家賃、そして原稿料を支払い、あとは拘束するだけだった。自分は専属制度は嫌いだからしてない。高橋亮子が別な雑誌に描いたとき大変恐縮してたけれども、全然かまわない。
いかにいい作品を描いてもらうか。自分は面白い作品を読みたいし、他誌にうつってもいい。作家をサポートするのが仕事だと思ってる。

会社を飲みつぶしてやると思ったが、自分がつぶれてしまった。2004年に呼吸器系で倒れ、10日間ICUに入り危なかったそう。4年間リハビリして現在だいぶ回復されたとのこと。

大学は日芸だったがあまり行かず、仲間と『釘と靴下の対話』をつくったこと。自主制作映画では有名らしい。安保の真っ盛りだった。
自分がかかわった少女マンガも新しい流れ、フェミニズムの流れは大きかったと思う。当時、マーガレットはレズマンガ、少コミはホモマンガと揶揄されたし、会社も周囲もあれでいいのかと言われたが、なにより読者が支えてくれた。

自分がいなかった間に週コミの『風木』が中途で終わっていた。この扱いはなんだと、会社に対する不満を感じた。それで、プチフラワーにきてもらって、風木を完結させた。(これは初めて聞いたので感動)作家に対してだけでなく、読者に対する責任もあるのだと。
人気があれば編集者の手柄、なくなれば作家のせいというのは間違い。

引退するとき、少女マンガ家たちが有志でお別れ会をしてくれた。そういう会は好きではないというのを皆知っていて、どうも秘密裏に進めていたらしい。そのときの集合写真のそうそうたるマンガ家さんの顔顔顔。そして、寄せ書きならぬ、山本さんとの出会いを1ページずつ割り当てられた、小冊子がまた素晴らしい。これは言葉にならないくらい嬉しい、編集者冥利につきるでしょうね〜。このあとの喫茶店でまた見させてもらいましたが、もっとじっくり1枚1枚拝見したい内容でした。しかし、一番多いセリフが「ヤクザみたい」「いつも酔っぱらってる」 ていうのが、なんともおかしい。

スタジオライフ『カリフォルニア物語』の話が出たあと、吉田秋生がいうところの「言ってもいいウソと、言ってはならないウソがある」は彼女のキーワードではないかと。(これは藤本由香里さんの著作インタビューでもおっしゃってましたが)昔は勢いで描いていたけれど、新作『海街ダイアリー』ではものすごく時間がかかるとおっしゃっていた話を披露して、2時間近くの講座はおしまいです。

いや、終わる前に質問タイムもあって、萩尾さんから山本さんへ絶縁状が渡されたことがあった経緯についての質問。答えたくないですが…と前ふりつつも、編集者のおごりについて話されてました。
またmoyoさんからは、再掲載された萩尾作品についての質問。ていうか、山本さんよりもmoyoさんのほうが情報詳しかったです(笑)。

そのあと、ロイホへ。8人メンバーだったので、4,4で分かれて座りました。私はヤマダさん、川原さん、たいまつさんの席。haneusagiさん、moyoさん、凸凹さんは山本さんと同席。その後、凸凹さんがご用ではずれて、山本さんと7人(後に6人)同席であれこれお話をうかがいました。
いろんな先生方の話(オフレコ話ですよね)があまりに広範囲で、時間のたつのを忘れてしまいました。萩尾さんのソ連で事故にあったときの話、水野英子さんとノルウェーでばったり会った話、竹宮さん、大島さん、岡野玲子さん、森脇真末味さん、池田理代子さん、武田京子さん、美内すずえさん、樹村みのりさん、山岸凉子さん(現ご住所について聞かれてしまった)、佐藤史生さん、文月今日子さん、岡田史子さん、高野文子さん、もとやま礼子さん、楳図かずおさん、(もっともっとたくさん!)話を聞きながら鼻血が出そうでしたよ(笑)。(先生つけてるとキリがないので、さんづけで許してね)『おごってジャンケン隊』のことをふったら、「あれ、ほんとに自腹なんだもんなぁ〜」とマンガと同じぼやき反応 (笑)。
外で他の人がいるときは、マンガ家さんの名前に先生や敬称をつけるけれども、ふたりで対面してるときは呼びつけであるとか、部屋に入れる範囲で、本棚をチェックしてたとか(今なんに興味を持っているのかを知るため)などなど。

moyoさんがおっしゃってましたが、あの頃メジャーだったマーガレットや別マ(だっけ?)を読んでた人たちは、いつのまにかマンガを卒業してしまったけれど、後発の週コミ、別コミ読者はずっとマンガを読み続けてると。ほんとにそうですね。

私は中学までは集英社系で、ぼちぼちマンガから離れつつあったのですが、高校生のとき、友だちから無理矢理借りたことによって、別冊少女コミックの黄金時代まっただなかをリアルタイムで経験しました。当時の別コミでは、竹宮さんのタグ・パリジャン、そのあと「変奏曲」シリーズ(もちろん週コミの「風木」も毎週読み)、萩尾さんの「ポー」後半の連載や「11人いる!」もあり、大島さんがものすごい勢いで短編中編を描いておられ、樹村さんの「見えない秋」や他短編作品、倉多江美『ジョジョシリーズ』、もう少し後に吉田秋生さんが出てくるのですが、たかだか1冊の月刊誌なのに、ひらくとそこには多様な才能と濃い未知の世界、夢のような世界が拡がっていたのでした。
そりゃ衝撃と影響を受けないわけがないじゃないですか。個々の先生がたの力はもちろんですが、大元締めである山本さんにその旨を話し、お礼を言う機会がもてたことに感激しました。少し興奮したのか手がふるえてしまいました。本当に感謝したい人に感謝の気持ちを伝えることができて、こんなにありがたいことはないです。

また山本さんの生い立ち、複雑な家庭事情のこと、日本映画のヌーベルバーグに惹かれて映画の道に入りたかったことなどなど、気がつけば、なんとロイホで7時20分まで。山本さんは昼からずっとお話してくださったのでした。お別れして私たちも突然疲れを感じたのですが(それと空腹)、体調がすぐれない山本さんはもっともっとお疲れだったことでしょう。申しわけなかったですが、こんな機会そうないと思うとどうしても聞かずにはいられなくて。帰っていかれる後ろ姿を思わずジッと見つめてしまう我々一同。

そのあとはお腹がすいていたので、別なマンガ研究家批評家プロ集団の方々と合流させていただきましたが、どうもメンバー的に私はパンピー過ぎましたよ。
それにしてもhaneusagiさんと久しぶり夜飲みかなと思い楽しみにしてたのが、中途半端な時間ということもあり、夕食前に帰られてザンネンでした。でも、たしかにあの時点で私ももう胸いっぱい、燃え尽きておりました…なのに空腹という。
そうそう、図書の家メンバーで贈られた、紫のバラは大層よい香りで美しかったですよ。ヤマダさんの胸にしっかと抱かれてました。ヤマダさん、皆さん、お疲れさまでした。この日は一生忘れられない一日になりました。ほんとにありがとうございました!

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