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2015年03月01日23:45

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【“第一次アニメブーム”の頃 アニメーション文化が花開いた時代】1・2

2月は毎週火曜日、三鷹ネットワーク大学にて「アニメーション文化講座」に行ってました。マンガ関連の講座でなく、アニメーション関連の講座に行くのはこれまであまりなかったのですが、Twitterでたまたま知って申し込んだら残り1名の中に滑り込みました。受講者は意外に若い人も多かったです。あと女性もちらほら。これはジブリやテレコムに絡んだ話が多いせいかもしれませんが。
全体的なテーマは、【“第一次アニメブーム”の頃 アニメーション文化が花開いた時代】というもので、このあたりは私、ほとんどリアルタイムでなく後追いなので、興味深い話をたくさん聞けてよかったです。

備忘のために、配られたレジュメ(他にも年表や資料あり)と追加メモなど。

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●第1回 2月3日 講師:高橋望(日本テレビ映画プロデューサー)
「アニメーション専門誌が作られる現場から」

<概要>
 1963年放映開始の「鉄腕アトム」の大人気によって、次々とアニメーションが作られてほぼ10年が過ぎた頃、アニメーションは小さな子どものみならず、10〜20代の若者にとって大切な「文化」になっていた。そして「宇宙戦艦ヤマト」の人気をきっかけに、“第一次アニメブーム”と呼ばれる時代が到来する。アニメーションが一般化、多様化し、発展したこの時代の状況を解説。
 アニメファンから、当時を代表する月刊アニメーション専門誌『アニメージュ』(1978年5月創刊)の編集者を経て、アニメーションのプロデューサーとなった講師が、受け手、語り手、作り手、それぞれの立場から、代表的出来事、人物、作品を『アニメージュ』の記事を通して紹介。

・『アニメージュ』以前のアニメファンの活動、アニメーション雑誌
・『アニメージュ』創刊号から1984年までの号に見る多様性や編集姿勢
・“ブーム”となった作品の変遷〜「宇宙戦艦ヤマト」→「機動戦士ガンダム」→「風の谷のナウシカ」
・大塚康生、高畑勲、宮崎駿への注目→「ルパン三世 カリオストロの城」「じゃりン子チエ」
・そのほかのポイント→編集スタッフ、表紙、人気アニメーターによる漫画など

年表をふまえながら、時代とともに、高橋望さんとアニメーションの関わり方の変遷が興味深かったです。同世代ということもあり、当時ロボットアニメに全く関心がなかった私でも、感覚としてなんとなくわかる、といったらいいか。
たとえば、以前のアニメは子ども向けもしくは子ども騙しだったのが、作家性や作家主義で見る土壌も出てきて、親子問題や人間ドラマを描く作品があらわれ、まさに自分の気持ちを乗せた、若者のもの、ぼくらの作品だと感じられたといったところなど。何者でもなく、うじうじとした気持ちを抱えていた自分たちに直撃したんだろうと。(意訳ですが)
私はそれはアニメではなく、一部のマンガやロックに感じていたことなので。

また、昔ファンジンや同人サークルが盛り上がっていた頃は、ファンと作り手が近い関係にあったという話とか、アニメージュ(机の上にどっさり置かれた)の表紙の変遷とか。
当時編集長だった鈴木敏夫さんのエピソードもいろいろ。ガンダム劇場版でっちあげ企画とか、82年2月号『風の谷のナウシカ』連載開始以前の81年8月号で、31Pの特集「宮崎駿 冒険とロマンの世界」により、ふつうのアニメファンが宮崎駿を知ったこととか。

鈴木さんや首脳陣は思うにアニメ好きというのではなく、映画好きだったのだと思うと。のちにジブリの鈴木さんになるわけだけど、エンターテインメント作品としてピンときた、テイストがしっくりきたんじゃないのかとも。当時のアニメージュとしてはオリジナルは無理だったけれど、ナウシカを連載することで、アニメーション作品がつくりたかったのだと。またナウシカを支えたのはファンだったとも。

当時の冨野さんのこと。80年代初頭から劇場版がつくられ、テレビの現場からごそっと人がいなくなり、その頃に押井さんが出てきたことなど。

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●第2回 2月10日 講師:富沢信雄(アニメーター、アニメ―ション監督)
「アニメーターが見た1970年代末〜80年代初めの製作現場」

<概要>
 「アルプスの少女ハイジ」(1974年)からアニメーターとして活躍し、以後も「母をたずねて三千里」「未来少年コナン」「ルパン三世 カリオストロの城」「じゃりン子チエ」「名探偵ホームズ」など、歴史に残る作品に携わってきた講師が語る制作の舞台裏。

・ズイヨー映像時代
 →「ハイジ」で確立した“レイアウトシステム”
・日本アニメーション時代
 →「三千里」での動画チェック、原画見習い
 →「コナン」での原画
 →作画監督・大塚康生の存在
 →現在のテレビシリーズとの制作システムの違い
・テレコム・アニメーションフィルム時代
 →大塚康生によるアニメーター新人養成
 →宮崎駿が「カリオストロ」演出になる経緯
 →「カリオストロ」での脅威の制作ペースとハイクオリティ、充実のスタッフ
 →「ルパン」(TV)や「チエ」でさらに充実
 →「ホームズ」での演出
 →日米合作「リトル・ニモ」への挑戦〜渡米での体験と成果

アニメーターとしてずっと現場におられ、時代ごとに貴重な証言を語っていただきました。もちろん講座に参加してる人はほとんど素人ですから、レイアウトと絵コンテの違いとか、原画、動画、タイムシートについて説明してくれたり。
現在の制作システムでは、一原(ラフに原画を描く)、二原(それをクリーンアップ)の形になってるが、このやり方だと原画マンの責任が薄くなってきてるように思うこと。絵コンテを撮影して声を入れるやり方が主流になってきていること。

テレコム・アニメーションフィルムを設立した藤岡豊さんは、世界に通用する日本のアニメーションを目指して、ウィンザー・マッケイの「リトル・ニモ」の日米合作フルアニメーション化を企画するが、二転三転えんえん頓挫したこととか。(このあとの講義でも出てくる話題)

年表には
1982年、「リトル・ニモ」制作のため、約1ヶ月のアメリカ研修へ。ディズニーのベテランアニメーター、フランク・トーマス、オーリー・ジョンストンの講義を受け、若きジョン・ラセターに出会う。

とありますが、ディズニークラシック時代の伝説的アニメーターたち、ナイン・オールドメンのうちの二人からレクチャーを受けたんですね。日本から渡米したメンバーもいまや凄い人ばかりで、写真には宮崎さん、高畑さん、山本二三さん、大塚さん、近藤喜文さん、友永和秀さん、篠原征子さん、田中敦子さん他の方々が写ってます。そして今回講師をされてる富沢信雄さんや竹内幸次さんの顔も。

レクチャーはたとえば、やわらかく動かすには、伸びたり縮んだりするキャラクターアニメが基本なので、キャラクターの芝居づけノウハウや演技論。キャラはまっすぐ立たない。何もしなくてもポーズをとってるもんだとか。いろいろカルチャーショックを受けたこと。

質問コーナーでも、日米アニメの違いについては、時間のかけ方、予算が全然違うこと。アメリカではアニメーターがユニオンに入っていて仕事を選んでいくと。養成のシステムがしっかりできてると。日本は会社(スタジオ)の個性が出るし演出メイン。アメリカはプロデューサー主体でその個性が出る。また日本では誰がどこを描いたかわかる。

自分のこだわりは、自然な動き、自然な芝居、自然なやわらかさ。動かすアニメーションを大切に思っている。動かないと嫌だ。
失敗続きの「リトルニモ」だったが、目指したことで副産物のほうが大きかった。

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以上
参考資料としては、大塚康生「リトル・ニモの野望」お勧めです。
3回4回の講義メモはまた後日。
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