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2020年01月20日09:30

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詩人の謎に迫るー90歳を超える妹さんにお話を聞く

インタビューをするときには、走るようにして行っていかないといけない、これは体験してわかっている。こちらがシナリオを用意しても相手次第で、しかも時間も限られている。場合によれば、全部聞く時間はないかもしれない。こんな寒い日が続く日に90歳を超えた方にお話を聞くとなると、気を遣わないわけにはいかない。娘さんが同行していただいたが、足に水がたまり、車いすで約束の喫茶店にいらした。しかしほがらかで、とてもにこやかに元気にお話しいただいた。

この流れでいきたいと思うのですが、とシナリオを渡したが、シナリオの真ん中当たりの話から雑談風に始まった。えーい、この流れで進めた方が自然だし、話しやすいだろうとどんどん流れにそって話を進めた。聞き出す方がしゃべりすぎる失態をおかしたのは、慣れてないのと緊張したからだろうと思う。しかし、とても大事な話がいくつか聞けた。

まず詩人の書棚はどうだったか。昭和初期の地方に住む女性の書棚は?彼女はボードレールやマラルメ、ホラチウスを引用している。読んでいたはずだ。しかもボードレールに至っては原文を掲げている。知り合いに新屋敷幸繁というのちに沖縄大学長になる師がいたのもあるが、妹さんはそれはそれはたくさん家には本がありましたと。

母も裁縫か本ばかり読む人でしたから、と話された。洋書があったかは覚えていないと。また詩人は、外国語ができたかと聞くと、通訳なしで英語で話せたと聞いた、と話された。鹿児島二高女、女子師範専攻科を1年だけ出ていて、先生も少しだけやったが、ぜんそく持ちですぐに辞めて家にいたと。本が多いのと全国の詩誌に詩を投稿するには、それなりに経済的なゆとりがなければならない。

父親は公務員的な仕事で中産階級だが、実は母方の叔父が関西電力の重役で、彼女の文才に目をつけ、結構な資金的な援助をしたらしい。また四人姉妹だが、彼女たちの着物のおしゃれば写真をいくつか見ればわかるが、この叔父さんの資金のおかげらしい。詩人はふんだんに詩に向き合えたということがわかった。

他にも知りたかったことがわかったが、それは今後今書いている論文とともに名古屋の同人誌「追伸」と南九州の南日本新聞に発表していきたいと考えている。

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