もうかなり前のことになるけども・・。様々な公演のチケットを購入、観覧に来る半ば“お得意様”といっていいほどの、中年層の車椅子障害者男性がいた。激しいロック系以外の公演なら、クラシック系やイージーリスニング系、ジャズ系等など手広く、あしげく通
なんかつい先日も“木偶の坊・菅”が、北海道くんだり来てこのことに言及してたみたいだけど。こんなもん、何で「政府」中枢や総理大臣が直接的に指示せにゃなんないのさって話。主要通信インフラとして、今や国民庶民の必須手段までにあると言ったって、それ
先の戦争で人生を狂わされた亡き父が、生前あの戦争そのものと共に猛烈な怨念と嫌悪感を表していたのが、この昭和天皇だ。数々の歴史資料を基にした、学識方面に拠る検証作業や研究から見えて来る、可能な分としての事実関係を積み上げると、ある角度や見方か
戦争体験者だった亡き父は、自身が幼少の頃から事ある毎にこのことを口走っていた。ニュースで終戦記念日を連呼する度、毎度のように。「何が終戦だ。敗戦だろうが・・」食事の時は、こうブツクサと呟きながら飯を食べていた。高度経済成長時代の上に育ちゆく
盆が明けました。一年のうち最も好きな期間が、このお盆と年末年始・・って、いわゆる“盆と正月”ですけど・笑父が亡くなってから2回目の盆ってことになりますか。早いような遅いような・・いや・・無宗教ゆえ特段の行事なく迎えてるので、初盆がどうだった
まぁ・・月並みではあるけども、やはり根源は戦後米国の統治下にあって、米国文化が大量に押し寄せ、音楽もまたその影響を多分に受けた・・その末から波及していった、ある種の「時代・歴史的現象」をずっと継承、昇華して来た、って所に行き着く話ではありま
この、重々しい感情は一体何たるや・・我が地域からすればまさに真逆の、遠くの地域行政施政者の一人に過ぎないのに、これほどまでの喪失感、悲しみは何なのかと改めてずっと考えている。沖縄の深くて悲しく辛い歴史、先の大戦がもたらす日本全体の歴史・・そ
先日、仕入れようと思っていた家電のことを思い出し、近くの家電ショップへ寄った。すると入り口で待ち構えていた某携帯キャリアの売り子女子が近寄り、ビンゴくじをよかったら・・というので一応もらいチョロっと。ハズレに付きポケットティッシュを頂くと、
気がつけばクルマに乗り出して以来長い年月を経てきたけども、今の今までカーナビなんて付けたことがなく・・。勿論、代車とか借用車とかならありますけどね。一度も「欲しい」「付けねば」と思った事自体がないという。そんなに必需性ってあるのか・・!?っ
ちょっと興味深いニュースに遭遇。https://www.j-cast.com/2018/07/27334888.html?p=all記事見ればわかりますが、坂本龍一が行きつけの、N.Yの和食レストランが流すBGMが聞くに堪えない・・ってんで、自らが選曲したプレイリストを渡したんだとか。料理は「桂
夏全開につき(!?)、久しぶりにセレクション動画を仕上げました。大好きな夏ですんでね、自分なりのMIXで気分をもり立てたくなるんです。で、やっぱこの季節ということもあってAOR風味のナンバーで纏めたいと・・大半がここ最近の作品ばかり。アメリカ以外
その昔、米農家だった祖母の家に、繁忙期は家族共々同居状態にあって・・。茶の間には、今で言う「ブックシェルフスピーカー」と同じ程のものがあり。サランネットが貼ってあるし、どっからどう観てもスピーカーなのだが、集音マイク機能が備わっており、いわ
●〜被害者遺族の感情とは?〜よく「被害者遺族の心情を考えろ」なんていう、もっともらしい言説がある。既述のように、激しい怒りや悲しみの末「同じ目に遭わせてやりたい・・と思っているに違いないだろう」という漠然とした感情や推測論だ。確かに事件から
「死刑是非論」は、事ある毎に浮上しては沈静化、浮上しては・・の繰り返しで、議論そのものは都度起きてもそこから思うように進展しない・・といつも思うところ。そんな中、この度の「オウム死刑囚」による大量執行で、巷で再び議論が沸き起こってはいるが、