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2020年10月20日01:29

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芸能業界全般に対する司法の不認識と、雇用側の非常識。

いやはや、寧ろ一審判決の要旨に目を疑ったけども。

>小道具準備などの裏方作業を労働と認め約51万円の支払いを命じたが、
稽古や出演への対価は「参加しない自由もある」と認めなかった

原告は、そもそも「俳優(演者)」を目指し、そのプロセスとして
「裏方作業」を当然のこととして受け入れた。
そしてその対価を法的に認めながら、肝心要の「役者本分」である
稽古や出演料対価は「参加しない自由」って、一体どういう論理構成なんだって話。

「参加」という文言を用いている辺りから想像するに、
司法は芸能の世界や伴う労働概念に、あまりに疎いとしか言い様がない。

一般に裏方…俗に言う「制作スタッフ」は純然な労働報酬として、
その額や基準はともかく「労働対価」の区分にある。

他方の役者演者は、この手の劇団に特化すると、よほどの役者や劇団でない限り、
搬入搬出や制作準備もスタッフ同様に尽力しないと、中々存続・存立出来ないのが実態。

その上で高裁論旨には、

>稽古や出演も「運営会社が場所や時間を決めて指揮命令しており労働だ」
 と一転して認め

とあるが。これだってそもそもおかしいのね。
確かに、労働に関する法律に基づく限り、指揮命令〜従属という関係性から来る
労働概念上、こういう言い方にはなってしまうのだろうが、
役者として雇用側の劇団が定め、認知している以上は、指揮命令があろうがあるまいが、
稽古や出演をした段階で、事実上「無条件的な労働」以外の何があるか、だ。

つまり。司法は劇団の有り様について
「好きな者同士寄り集まって開く、趣味の延長線」程度として解釈してないか?だ。

詳細については、労働条件で争う限り、雇用契約等の法文根拠が必要になるだろうが、
好きであろうがあるまいが、契約を経て実務にあたる以上「労働」に変わりなく、
賃金が発生する分類や組織である以上、実務はボランティア奉仕じゃ一切ない。

にもかかわらず、「下準備作業」には対価を認めながら、
本分の「稽古〜出演対価」は参加しない自由の「自由」って一体何だ?っていう。

確かに、劇団に限らず広く芸能全般の労働環境は、
昔からの慣例・習慣として「好きなことをやれている」という大義名分のもと、
多くが奴隷的な環境で従事。継続出来る者は資質がある…という一方で
「洗脳」と「芸能業界特有の麻薬性」のミックスによって、
労働概念が蔑ろにされて今があるのね。

まともに考えて、こんな割りの合わない仕事は早々ない。
それを補完するのが「麻薬成分」。綺麗な言葉に換言すれば「プライスレス価値」。
華やかに見える業界全体は、昔っから「体育系」で「アナロギーな人間社会」。
これを雇用側は駆使し、非雇用側は洗脳されるのが実情。

こうした事の積み重ねが、例えば制作スタッフや演者の現場事故だったり、
最近で言う所の、芸能界特有の「ハラスメント」に拠る人権問題の数々に及んでいる。

いい加減、業界も真剣に考え改善する気概を持たないと、
この手の訴訟で敗れるどころか、担い手や次のスターが生まれていかないよ…。

■「劇団の稽古や出演は労働」 異例の判決が確定
(朝日新聞デジタル - 10月19日 15:09)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6274033
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