mixiユーザー(id:13658569)

2020年10月12日21:10

112 view

“投票率を上げるには”…を考える。

マイミクさんとのやり取りの中で、
「投票しない人を投票させる方策は?」との問いがありました。
これ、実に今の最大要因で、かつ大変難しいですね(笑)
というか、難しくなってるってコト自体が、そもそもおかしいんですけど…

ここから、纏めず一気に書き殴りますのでご容赦のほどを(汗)。

4年前、こちら北海道の中枢部にて「故・町村信孝議員」の
衆議院補欠選挙が行われました。町村氏の娘婿で自民推薦の「和田義明氏」と、
無所属新人「池田まき氏」との一騎打ち選挙で、池田氏には野党各党が支援するという、
いわゆる「野党共闘策」の本格的な実践第一弾…とされ、
北海道の一選挙区補欠選挙でありながら、全国的に大注目された選挙で、
道民以外の方でも記憶に残っている方はおられるかもしれません。

結果、1万票ほどの差で和田候補が勝利、池田氏の野党共闘策は敗北した…
と相成りました。実のところ、私の住む選挙区ではなかったんですが、
些末ながら間接的に池田氏の支援活動をしました。

1万票差をどう見るか…に及ぶことなんですが、色んな見方はあるにせよ、
池田氏の下馬評を大きく覆した「予想以上の善戦」…という評価が乱れ飛びました。

この選挙区は、札幌の一部エリアや周辺市町村部に跨り、しかも飛び石的な
エリア構造にあり、一般居住区、農業産業区等、一括りには言及し難い
複雑な選挙区で、一番は“陸・空自衛隊基地”を包摂する市部の
「千歳市・恵庭市」を含んでいるために、自衛隊由来の組織力差で
池田氏の勝利は難しいのでは…という下馬評がまずまず大勢を占めていました。

それに対し、安倍政権以後に拠る「格差〜生活の各種問題」を旗印にし、
池田氏本人がシングルマザーで、フリーのソーシャルワーカーとして働く
「女性・家庭目線の政策」が、自衛隊区を除く他の地域に対し、どれだけ
波及していくか、食い込めるのか…というのが鍵でした。

純粋な私の感覚としても、やはり池田氏が「予想以上の善戦」を果たした…
と基本的には思っていて、野党各党やメディアらも皆同じ評価。
何よりも、それには「自民党自体が」青ざめた、こわばった…
という辺りに如実に表れていました。というのも、途中の情勢報道で
「池田氏猛追・拮抗」と出たからで、それを受けて東京から与党の大物が
急遽複数が応援演説に入る…という慌てっぷりがその象徴でもありました。

一方で。地域毎に投票数等を観ながら冷静な分析を自分なりに行っていくと、
幾つかの点に気が付きました。当選挙でやはり特長として目立つのは、
「自衛隊基地区」でそれなりの差が出たものの、市部居住区では池田氏が勝ってる所、
または拮抗している所など「地域性」がよく表れていた、という点。

それら数字を突き合わせていって痛感したのは…
「投票率があと10%少々もあれば、池田氏が勝てた可能性が大いにあった」との事実。
因みに投票率は57%ほど。ざっくり、全国主要都市部とほぼ同等か、若干上回る程度。
ここに先ず愕然としたのです。因みに前回の衆議院選挙より0.8%低かったのです。

というのも。僅か一選挙区の補選でありながら、全国から大注目され、
今ある野党共闘議論の皮切りとして、キー局メディアらがこぞって取り上げ、
ローカルに住む人々自ら「大注目されながら」、それでも通常の選挙と変わらない…。

ローカルメディアに拠る、ある報道にその一端がありました。
ルポ取材の中で、街頭インタビューの映像が。
何人かが、投票日の僅か三日前ほどに迫りながら「補欠選挙」があることすら知らない、
または「何でこんなに騒がれてるのかイマイチわからない」という有権者の姿が。

早い話。これらの人が投票に足を運んでいれば、関心を高めていれば、
池田氏が必ず勝てた…とまで言わずとも。
少なくとももっと伯仲、あるいはもっと「地方自治」に対する、
政治に対する関心の高さとして、何某かは国政への影響が及ぶ。
あるいは「今後の選挙情勢」に必ずや影響を及ぼす…と。

池田氏は、その後の全国衆議院選挙による、立憲民主党の比例当選で
念願の国政入りを果たしました。が、それで全てめでたしか…は全く別です。

投票率10%少々というのが、実際の場面で何名になるかは、もっと地域毎で
検討する必要はありますが、それほど膨大な数ではありません。
実際、旧民主党政権誕生の際は6割をゆうに超えていたんですから。
遠い昔の話じゃありません。

「政治に絶望したから(民主党がそうさせたから)」等を中心付近に置きつつ、
「誰が、どの党がやっても政治は変わらない(よくなるわけじゃない)」…
といった理由付けをします。半分程度はそうかもしれない。
が、もう半分は明確に「違う」と言えます。

では、どうやったら投票率が上がるのか…。
一にも二にも、既存政党や政治家らの手腕・力量に拠る…。そうでしょう。
でもこれって、はたして本当でしょうかね?

究極論ですが、日本が再び先の敗戦のような実情となった時。
今いる多くの政治家が欠けた、爆死した…。となったら、何処かの国から
誰か政治家を買うわけにも、呼び寄せて政治をやってもらうわけにもいきません。
「我々が、新たに代議士を作って国政の場に送り出し、育てねばなりません」。
なので、既存政党や現存政治家へ、完全に依拠・依存するだけでは足りないんです。

そのためには…。先ず何より「問題意識の共有」が第一歩で、それが大半と思います。
「世の中を、政治を良くしたい…」というのは、あまりに焦点が広すぎ、
あまりにヘビー過ぎます。何か一つ二つ程度でいいので、今ある問題について、
近しい人と認識共有が絶対不可欠です。

年金が下がっている、今後の支給不安の問題を、裕福な人と幾ら共有しようとしても
無理な話です。ジェンダーの問題や性差別の問題を共有しようにも、
そう感じていない、今の状態で満足してるという人とは中々難しい。
なので「仲間を作る〜連帯する必要」があります。

というと、集団作りを想起させ、そんな大それた事は…となりますが、違います。
「たった二人の間」でいいんです。そこで共有認識が確認されれば、
自分だけが思ってるわけじゃないと出来ますし、小さいながら“勇気”が湧きます。

勇気を持てた相手方が、今度は別の場所で同じような共有をする。
自分も、また別な一人と共有をする。その繰り返しや積み重ねがいつしか
「輪」を形成していきます。ここに「効率」とか考えちゃいけない。
小さくて全然いい。地味でいいんです。

伴侶でもいいし、兄弟でも、親子でも、友人でも、職場でも、学校でも、
町内会でも、お茶飲み仲間でも、恋人でも…。どんな間柄でもいいのです。
問題意識が共有され、輪が広がっていくとそのうち「空気」が形成されます。
いわゆる「世の中の空気」です。その空気を、人は生きている以上「肌感覚で」
認知出来ます。それを受容するか否かは別にせよ。

とあるマイミクさんが、非常に印象的な言葉を発せられてました。
それほど親しいわけでもない職場の同僚の方と、たまたま更衣室で
ある政治問題について、世間話的に発した所「実は私もそう思ってる…」
という応答があったのだとか。まさしく「問題共有」です。
これをマイミクさんは「ロッカールーム民主主義」と称されました。
私はポンと膝を打ちました。実に巧い。実に本質を突いていると。

我々一般の行動範囲や、コミュニティ範囲なんてたかが知れていて、非常に狭い。
著名人らのように、多くの人々を巻き込む、影響をもたらすなんて無理な話です。
たった「二人間」でよいのです。それを幾つも重ねる、重なっていくのが大事なんです。
なので、無理のない範囲や相手をチョイス、一つ二つ程度の社会問題を共有出来そうな、
またはそういう話が出来る相手を作っていくことです。

そうすると、次に「ではどうすれば良くなるのか、改善されるのか」の思考回路へと
移っていきます。特別な方法を考える必要はなく、単に
「選挙で為政者・政治家を落とす」→「その他の政党や政治家に投ずる」だけでいい…
ということになるはずです。

ですが、ここで大概「A政策はB候補がいいけど、C政策はいいと思わないんだよなぁ」
という所からの“戦略論”を、人によってはどうしても考えてしまいがちです。
しかし、よく考えて観てください。血の繋がった肉親・兄弟でさえ
考え方や価値観が合わないのに、赤の他人である政治家の全てが自分と合うわけは
ないじゃないですか。思想信条、掲げる政策目標が完全一致するわけがないんです。

したがって、自分にとって一番重視する、譲れない問題について合致する、
尽力してくれそうな政治家や党を選択する…というだけで充分です。
もし現在の与党政治が駄目だとするなら、同じように「何か最優先の政策」を
実行してくれそうな政党選択して投ずればいいだけです。

ただ、たったこれだけのことではありながら、それでも日々の生活に追われていると
どうしてもヘビーに感じてしまうのが、どうであれ「庶民感情」でもあります。
だからこそ、選挙機関の僅か二週間程度の間、急いで考え始めたって駄目で、
日常からちょっとずつ考え続ける…「継続」が重要です。

考える癖が出来ていると、いざ「投票にいけ」と言われても容易に気が向きます。
投票行動に足が重くなるのは「普段から政治と距離を取って来たから」です。
日頃から歯医者さんに定期検診を受けてる人は、通院がそれほど億劫にならない…
というのと一緒です。

そのための「日常からの問題共有手法(コミュニケーション手法)」…。
これを今のSNSをはじめとする「ネット空間」で全て行おうとするのは良くない…
と思っています。なぜなら、ネット空間は所詮“サイバー空間”でしかなく、
「顔と心・声が見えない、聞こえない」からです。
「共有しあえたような気になってしまう」からです。

かくいう私が、ネットを通じてこう言うのも甚だおかしな話なんですけど、
結局は「手段の一つ」でしかなく、リアルを超越はしない…。
たとえZoomやテレビ電話であったとしても、です。

先の検察庁法改正騒動による「ツィッターデモ」みたいな成果は実際ありますし、
今後も重視されるでしょう。が、それは大局からみれば
「一つのムーヴメント」でしかない…という脆さもまた内包されています。
そしてあれは結局「ワンイシュー」でしかなかったから…
という単純性だったとの分析も出来ます。

それに対し「投票行動」となると、期間や伝達内容等に制約が生じますから、
結局は「日常からの積み上げ」が不可欠。しかし、それをサイバー社会に依存すると、
真偽性やら相手方の不詳やら、不確実性が一気に増すので結果的に
「ヘビーになっていく恐れ」が生じます。

投票行動の強化やそのための補完要素は、例えばメディアだったり、
各種情報発信者だったりもするので、それらの強化や依拠も時に必要となります。
ですが、結局は自分の周辺の、目に見える「リアル社会」の中でどう振る舞うか、
どのように対峙すべきかに尽きます。原始的でアナロギーですが、
人間社会は、人間が形成している以上何処までいっても「アナログ世界」。
その中で使う一つの手段がデジタルに過ぎません。

小さくていい。狭くていい。そこを発火点にする…
ひたすらそれが、我々庶民に出来る唯一の方法で、その果てに拠る「束」は、
政治家や為政者、政党という「巨大な相手」を左右出来る「唯一の最大武器」です。

この地味な作業が、僅か10%少々の投票率を上げる事になる、と思います。。
4 3

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する