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2020年10月12日04:18

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「喧嘩」と「戦い」が出来ない現代人

ちょっと一杯の後に一眠り、中途半端に目が覚めたついでに(笑)
ここ数日モヤッとしたことについてツラツラと…。
いや…もっと前から、ずっと前からではあるんだけど…。

【何でこうも、現代日本人は“ひ弱”なのか】について。

何につけ怒りませんよね、現代日本人って。いや、まるで怒ってないわけじゃない。
「怒り方が正しくない」というべきか。

そりゃ、世間を見渡せば、きっとあちこちでそれぞれ怒ることぐらいあるでしょう。
必要に応じて。でもね。ざっくりいうと「生温い」んです。ボクからすると。
「それ、怒ってるの?」という気持ち悪さが、どうにも目について仕方がない。

“喜怒哀楽”ってのがあります。
このうち喜と哀と楽は普通に、時代に変わらず自然体で皆は表現しますが、
「怒」だけはどうにもナチュラルじゃなくなってる。
いや「巧く出せない」と観ています。怒りの感情がストレートじゃない。
人間的じゃない…みたいな。

まぁ、怒りってのは周辺に良からぬ影響をもたらす事があるので、
いつでも無節操に怒りゃいいってもんじゃない…とは思います。
その意味で、喜怒哀楽の人間表現としては、一番難しいのかもしれません。

「怒り」は源泉で、内容によっては対象や相手と「対峙」し、
平たく言えばその末に「喧嘩」〜「格闘」に発展しかねません。
俗っぽく言えば「血を見る恐れ」がありますから、大変注意を要します。

ただ、現実として人間は、長い寿命のうち、何度もそんな場面は訪れるものです。
重要なのは、如何にして怒りを巧く纏めて、解決や軟着陸を目指すか…。
それが巧く出来る人ほど、高評価を得やすい…。
けれど、実際それが万度に出来るかは大変難しい。

それにはやはり「鍛錬」が重要だろうと思うわけです。即ち「経験値」。
この経験とは「喧嘩の仕方」。大きく言えば「戦い方」。
早い話「子供の頃」がとても重要と思うんですよ。
子供の頃、如何に「沢山喧嘩をして来たか」。

別段「叩き合い」や「殴り合い」という、暴力に特化してるわけじゃありません。
如何にして他者と「衝突の経験則」を積み上げられるか…です。

集団生活〜人間社会に生きる以上、性格や価値観が各々異なり、
日々のバイオリズムが変化しながら生きてるので、万事互いにフィットするなんて
絶対にあり得ません。だからこそ「調整」が必要となるわけですが…。

しかし、調整がいつも巧くいくとは限りませんし、時に巧く噛み合わない事が
起こり得ます。寧ろそれが自然。その時「衝突」します。

子供時分のうちに喧嘩しておくことは、後に大抵役立ちます。
相手を叩いたり、叩かれたりすることで「痛み」と「限界値」を体で覚えていきます。
だからこそ、喧嘩することは重要と思うんですよ。
成長の過程で「喧嘩の発火点(分かれ目)」やタイミング、または
「喧嘩すべきか否か」までの判断力も養われるからです。

そうです。近年…いつからか「喧嘩することはいけないこと」と、
一律に刷り込まれて来たように思うんですよ。大きな括りで言えば「平和主義」的。
友人知人はおろか、学校…家庭内の兄弟・親子間でさえ広く平和指向に。

いや、それ自体大変結構でしょう。仲良きことは素晴らしきかな…。
けどね。まともに喧嘩〜衝突したこともない「深い間柄」って、
ボクにはどうにも胡散臭く見えてしょうがないわけですよ。

結果、怒り方や喧嘩の仕方がわからない大人が増えて、
いざという時、限度を知らないで大怪我を負わせたり、取り返しのつかない事態や
大きな禍根を残す羽目に陥ったりする。

喧嘩の仕方を鍛錬すると、「勝つことが全て」じゃない事を覚え、
「イーブン」のもって行き方や「巧い負け方」さえ身についていきます。
そして何より「仲直り」の方法が身に付いていきます。ここが一番重要。

それら一切が身につかない状態だと、虚弱体質となり、
衝突することが「怖くなり」、過度な「不安体質」を形成しやすい…
結果「怒ることが出来なくなる」=「反動が怖い」から。

ちょっとでも力の有りそうな対象には、一切反発や抵抗が出来なくなる。
度胸も勇気も育まれてないからです。これを「人間らしさの喪失」とボクは思うのです。

そして「規範性」とか「秩序の厳守」。
怒ったり、怒りをぶつけることは「悪いことだ」という、一律の刷り込み教育。
内申書とか親の目とか、各種の「評価点」が傷つく・下がることだけは
絶対許されないで育つし、そのように育てるからです。

一気に「政治」や「社会」に飛びますが…(笑)
この8年あまり…いや、その前からかもしれません。
こんな世の中になってしまって、皆それぞれ、事柄毎に怒ってる人は多いでしょう。
けど、ホントに心底怒ってるんですかね!?
いや、ちゃんと怒りを表出出来てますかね?

ネット〜SNSなんかでは激しい怒りとか、随分と溢れてます。
しかし、それって結局ネット上だけ。威勢のいいのは。
日常の現実場面にて、自分の口で、態度でちゃんと怒ってる人って
とんと観ないんですよ。めっきり少なくなったというべきか。
せいぜいが「クレーマーの類」ぐらい。

ボク、結構身近内で「火をくべる」んです(笑)試す意味も込めて。
火が大きくならんかな〜と思って。が、思うような怒りのレスポンスに
なんないんですよ。結局、ボク一人だけ吠えてるという(笑)

言葉を悪くして言えば「何すかしてんだ、キミら…!!」と。
いや、「ウザい」のかもしれません。ボクが逆に(笑)
けど、ボクからすると「無感情のロボット」みたいに見えて、
気持ちが悪くてしょうがない。

それでいて、個別の事柄について真剣に困ったり嘆いたりはするんですよ。
それを前にしてボクは「だったら怒れよ、まずは!!」と思うんですよ。
「冗談じゃない!ふざけるな!」という、何らかの気概ぐらい先ずは出せと。

「政談」がし難い日本社会だから、ってほどでもないんです。
その手前までは普通に出来てるので。問題は「それ以上燃えていかない」。

結局ね。このように「声に出して、表情に出して怒らないから」
政治権力が、あるいは学校教師が、企業の上司や先輩が「舐めてかかる」のだと。
「大して影響は及んでいない」と相手は捉える…。

今般の「学術会議問題」にせよ何にせよ、国の横暴さやいい加減さは、
大げさな物言いに聞こえるかもですが「近代社会の崩壊危機」です。
早い話、庶民を「舐めて掛かって」ます。「怒らないでおとなしい」からです。

怒る方法を、戦う方法を現代では、文字主流の中で
「論破」「論戦」が方法だと思ってるんでしょう。しかもサイバー空間を通じてのみ。
そりゃあ幾らでも舐めて掛かりますでしょう。五月蝿くありませんもん。
文字が踊ってるだけなんで、観なけりゃ済まされちゃいますもん。

声にして怒らにゃ。ファイティングポーズ取らにゃ。戦わにゃ。

少し前、BSーTBSの報道番組をたまたま観てたら、共産党の志位委員長が出てました。
今後の政局を睨んだ「解散総選挙」や「政権交代」の可能性とかについて…。

TBSの政治部解説者が、共産党に対する世間の見方に関して、
綱領や伝統にある「民主主義における、国民との戦い」というフレーズについて、
「旧時代の共産主義〜極左を想起させるので、新しい共産党として広く受容されるには
“戦う”というのはもうやめた方がいいのでは?」と。

志位さんは明確に否定し、民主主義に対する横暴で破壊的な政治に対しては、
戦って取り戻すという姿勢じゃないと駄目で、時代に拠る迎合をしてたのでは
いつまでも取り戻せないという意味で、変えるつもりはない」ときっぱり。

ボクは、共産党がどうのこうのという以前に、TBS解説者による安易な
ポピュリズムの要請姿勢にげんなりしたわけですが…
ここに、まさしく「ひ弱な現代人向け」のメディア気質を垣間観た気がして、
TBSともあろう局が、地上波ではない折角の領域で何いってんだ!…と思った次第。

話は戻りますが…
親しい誰かを、狭いコミュニティ内の仲間を守るためには。
時として「戦わねば」。時に秩序さえ幾ばかりかでも超えねば…。

「法外の正義」。
愛する我が子を、大事な親を困窮させようとする外敵に対し、個人であれ国であれ、
戦わねばならない時は、法の外にさえ出る覚悟と怒りの態度をどれだけ示せるか。
喧嘩してでも守る気概を示せるか、です。

喧嘩しないと、戦わないと、もう駄目な段階へ来たと思いますよ。いよいよ。
法や秩序を無視して襲い掛かって来るんですから、こちとらは
「法外の正義」を発動する時ですよ、ええ。。
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