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2020年07月03日05:40

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「再犯防止教育」とセットでなければ、ヘイト風情は根絶されない。

条例〜刑事罰適用における詳細な規定まで網羅出来ていないので、
この短い記事だけで言及するのは困難だが・・

それはともかく、一般概念や通念として広く考える時。
いわゆる“表現自由”との関係性は別にして、恒常的な差別問題を基にすると、
「根絶」という文言上から平たく解釈する上では、刑事罰の適用だけで
果たして恒常的・潜在的差別の温床までを絶やす効果というのは如何ほどか・・!?
という素朴な疑問が付き纏う。

一口に差別と言っても千差万別。
この場合は主に在日コリアンという、凡そ一つの民族差別を対象にされているが・・
本条例や刑事罰の適用範囲、または今後の拡充にあたって、
どういう青写真を描いているのかよくわからないけども。

ある一つの対象事例・事案を集中的に取り締まろうとした時。
抱く懸念は「別な逃げ道を誘引、または置換」される恐れ。

つまり。ヘイトを起こす者の心理作用にあるのは、ある種の鬱憤やストレスであり、
その浄化目的が殆どであって、社会運動や政治的活動にまで見込んでる可能性は、
こと現状の日本では殆どなく、またそれが具現化する世界でもないため、
そこまでも多くが特段目指してはいないはずだと思われ。

とすると。“塞がれたはけ口”は、別な対象へと向かう恐れがある。
本件の場合、では代わりに別な民族差別や性差別等に直ぐ向かうか否かは別にせよ、
早晩「別なターゲット」を探し求める可能性があり、刑事罰がそこまで広範に
根絶やす効能を持っているほど万能とは思えず。

要は、手短な「即効性」として一定程度期待出来るとは思えるものの、
「根っこ」を残したまま、上っ面だけを刈り取るだけに終えてしまう、という・・。

「罰則効果」という奴は、個別の分類や内容によって異なるものの、総じて言えるのは、
“一時の抑制や懲らしめ効果”しかもたらされず、倫理や道徳等の根本的な
「矯正効果」というのは、世間が思うほど実はあまりない。

一般的な犯罪事例に置き換えてみても明白で、再犯が起こるのは
「人間性の矯正」が不十分な事と、「再犯を起こしてしまう要件や環境」が
存在しているからこそであり。

ハードルを一段低くすれば「スピード違反」。
一度違反で捕まれば、二度と速度違反を起こさないかと言えばそうではなく。
あるいは、反則金が上がれば違反率が下がるかと言えばそうではない。

即ち「速度をまた出してしまう環境や要件」が整っている・存在しているからだ。
ほんの僅かアクセルを踏み込んだだけで、今や瞬く間に法定速度を軽く超える
性能に車があり、また軽く出せてしまう道路環境等があるからだ。

つまりは「人間の潜在本能(早く快適に走りたいという)を揺り起こす条件」が
幾らでも用意されているからに他ならず。

と考えると。
ヘイト行為をもし「ある程度の年齢域に達した成人」が起こした場合。
罰金ぐらいで残りの人生、改心して(差別心理を改善し)二度と起こさず
真っ当に生きれるかどうか・・だ。

端的に言って、現実的に具現化したヘイト行為を行う者は、
心理的、学識的、社会学的、倫理的、道徳的・・幾つかの素養や最低要件が欠如、
または医学的見地にまで時に侵食する「病的異常性」にまで及んでいる事が考えられる。

となると、幾ら局所処置的な罰則を講じた所で、短期的には効いたように見えても、
根が残ったままではまたいつか「再生」してしまう可能性がある。

重要な点は、この場合やはり「再教育」でしか補完も完治も望めないという事。
さすれば、必要なのは罰則だけじゃなく、どうやって
「正しい再教育での治療」を行うかだ。

“病気の進行した者”は、完治しなければ「健全な社会生活」が送れない。
ゆえに。今後の日本社会がどのように推移していくかを考えた時・・
少子高齢が進み、益々外国人の流入が避けられない現状まで考えれば、
今の日本の一部にあるような「陰惨な差別態様」が滞留していると、
いつか思わぬ格好で「暴発」する危険性がある。

今の所、諸外国でみられるような「実力行使」など出来る度胸を持つヘイターは、
現代日本人の殆どにはなく、まさに陰湿で小スケールでしか行えない者ばかりだが。
だからといって、根っこを放っておけばいずれ「歪な成長」を遂げかねず。

ならば、今のうちから「再犯防止教育」の態勢作りは不可避だろう。
昔なら、義務教育過程や地域コミュニティらが倫理や道徳教育等で補完されたが、
今やそれらが望めなくなったわけで。

その代用は例えば「大学の特別教育過程」や、地域毎における、
何らかな教育カリキュラムの設定、あるいは場合により「医学見地」の側面での
“治療的教育”により、ヘイト気質や誤った人権・倫理教育を、社会機能の責務として、
包摂・矯正させることをしていかないと、国際社会が変容する中で日本が、
日本の文化社会が生き残り、尚且つ世界と対等に渡り合う上では欠かせなくなるだろう。

都合のいい部分だけ「世界の人を利用」、その上で都合よく分離化しようとしたって、
もういいだけ無理な時代なのは間違いない。

■ヘイトに刑事罰、全国初の条例が施行 「差別は犯罪」
(朝日新聞デジタル - 07月02日 10:04)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6141999
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