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2020年03月28日22:46

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「国」である前に・・。

〜愛国心は育てるものではなく、自然と育つもの〜

といった当然中の当然な言説、解釈が所々に見受けられるのは、
今のおかしな風潮の中で、一筋の光明を観る思いがするものの。

それはそれとして・・。もっと重要なこと。

国(国体)を基礎づけるのは、他でもない「国民」であり。国民=人。
国民が、人が、大衆庶民が・・。
生きながらえるための基礎・土台は「地域」。あるいは「地域集団」。
地域は、言うまでもなく「住民」によって形成され、維持発展される条件。

地域集団=人の集合体。
いわゆる“人の絆”とか、調整、そして仲間意識の醸成。

小さな集合体が、一つの地域の中に幾重も折り重なって、やがて街や自治体となる。
更にまた幾つもの自治体が折り重なって、最後に「国」が形成されている。

とどのつまり。「国を愛する」ということは「人を愛する」こと也。

では、現代社会を顧みた時。町内、学校、企業、居住自治体・・
あらゆる身近な小集団に対して、現代人は関心を持ち、
人と健全に交わるべくな有り様なのか・・!?

永田町の政治を語るのはいいが、その前提となる「自治体行政」に関心を向けているか?
社会の出来事に脊髄反射するのはいいが、その前に自分の住む地域の住民に、
お隣さんに、御老体に、子供に、関心を向けているか?

答えは自ずと出てるだろう。皆「無関心」だ。
隣に誰が住んでるのか、お年寄りが近くで困っていようが、子供が困窮してようが、
およそ見て見ぬふり。

会社では飲み会や交流を忌避し、学校では友人と遊ぶ暇なく塾通い。
仲良しなのはママ。そのママは「変な友達とは関わるな」と言い。

人と人とが繋がらない、希薄。共通のプラットフォームは「ネット上」。
匿名のネットゆえ、「人的調整」に困れば容易に切り捨て、新たに別な相手探し。

憲法の文言上にある「公共の福祉」。
この言葉がまるで誤って解釈、横行しているが。
公共の福祉とは『互いの権利や主張がぶつかった時の、調整機能』を言う。

人=人権。人権と人権がぶついかり合い、折り合いがつかない時。
ある部分を妥協したり、妥協されたりしながら、調整の上「出来るだけ均等にする」。
人が人の中で生きる時、必ずや必要な手段・行為である。

バーチャルなネット空間ではなく、まさしく「リアルな場面」でこそ活きるもの。
面と向き合った生身の人間同士ゆえ、人と巧く折り合い生活する上で重要な行為。

そこでわかりあえる、調整が出来るようになること・・それ即ち「人を愛する」こと。

他者を、隣人を、同級生を、上司を、部下を、仲間同士を・・
愛せないでいて、『国・国体なんて大それたものを愛せる道理がない』。

人を愛せない、無関心な者が、人と渡り合えない、渡り合うつもりのない者が、
幾ら「愛国者だ!!」と言った所で、てんで説得力もないばかりか「噴飯もの」だ。

つまり。「人と交われない(交わるつもりのない)」、人を愛せないからこそ、
『国体』なんぞの、ある種“無形的”で、かつ「何となく大きな存在」に
依拠、依存しているだけなんであり。自分の弱さをひた隠すために、
不安を埋め合わせるために「国体〜愛国心」なるファンタジーにすがってるだけ。
まさしく「カルト宗教」と同質。

弱さ、脆さをカモフラージュするための、道具に過ぎない愛国心なるものを、
「人工的に育む」なんざ、振興せしめんとするなんざ・・
下手な漫才よりずっとくだらない、タチの悪いことこの上ないですわね。。

■愛国心「育てる必要ある」は69%=過去最低を記録―内閣府調査
(時事通信社 - 03月27日 21:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6025151
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