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2020年02月26日13:41

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西川貴教の主旨が正当性を持つ理由。

タレント演者の側から、こうしてストレートに発せられたことは実に意義深い。

件については先日も触れた所ではあるけれど。
コンサートを企画提供する大手プロモーターが加盟する
「コンサートプロモーターズ協会」は、今日時点でも

【正確な情報の収集に努めるとともに、政府および関係諸機関等の発表を踏まえ、
状況に応じて公演の実施に関する判断を行って参ります。
開催にあたりましては、感染拡大防止に細心の注意を払い、
対応に最善を尽くして参ります。】

とし、加盟各社は基本的に横並びの態勢にある。
これが2月12日のプレスリリースで、昨日の政府方針の内容を観ても、
当時から踏み込んだ言説とはなっていないため、取り急ぎ上記の方針で変わりなく
開催の方向となるはずだが。

したがって、もし政府の側から何らかの一段強い要請があった場合、
協会や各社は変更の検討を余儀なくされるだろうし、実際現在も各社間で、
あるいは非加盟業者も、催事の内容・場所・対象客層らの要件に沿って、
幾分かの柔軟な対応を行っている事例がある。

一方、「自己責任」云々について。

そもそも催事主催者は、開催にあたって基本的に「行政が定める法律」に
従っている側面がある。主だっては災害防災に関連する「消防法」、
警察行政の所管する「警備計画」等だ。

当時案である“感染予防対応”は、基本的に明確な既定がなく、
所管する行政による管理・指揮下にもない。
つまり当件についての対応は「運営者側の裁量」に委ねられている性質にある。

但し。事が深刻で、且つ地域行政〜国家行政に関わる重大性を孕む場合、
当然にして運営者の裁量を超越するものであるから、行政側の意思・目的が
明確にあるならば(感染拡大を阻止したいという)、行政権を行使し得る余地が
元来国家には内包されている。(憲法既定〜以下の特措法等により)

よって、現時点で開催決行の末、感染の起源が判明したとしても、
主催者側による責任は一切問えないので、自己責任論が及ぶとすれば、
それは「観客側」の方に依拠される性質にある。

その反面、「サービス業」の性質にある主催者側は、消防法等にある概念に関連し、
出来るだけ観客への安心・安全対策を担保すべくな“立場”にあるがゆえ、
全く知らんぷりは出来ない・・という難しい立場にある。

つまり。難しい立場にある民間を擁護するのが、他でもない「行政・国家」なんであり。
その意味において、西川氏の「そろそろ政府でちゃんと決めて欲しい」、
「自己責任は無責任」だとの主旨は、実に正当性がある。

現在の情勢下や要件上でのコンサート開催が、企業の社会的倫理責務に照らして
不適切であり、開催を取りやめるべきだ・・とするなら。
ではデパートやスーパー、各種の商業、企業活動の運営継続はどうなるのか。
そのことが逆に問われるし、「それとこれとは異なる」というなら、
論理的整合性を持って見解は明確に示されねばならない。

記事にあるように、中止や延期措置における実質上の損益が主催者側に大きく発生する、
という理由はもとより、主催者側は上記の法的、立ち位置の構成要件に
置かれている以上、自己責任(企業責任)を問うには限界がある・・
ということを、好む好まざるにかかわらず、観客側も第三者も、
この際よく考えた上、留めおく必要がある。

そして今回、タレント側自らが提起したことは、
そのタレント側から主催や運営を請負い、尚且つ「専門」として生業にある
プロモーターやイベンター側の立場にとって、大変有意義なものとなろうし、
それはひいては「ファンの側」にとって、一番有益なものとなるのは間違いない。

ボールは「国に投げ返された」と、捉えるべきだろう。

「自己責任」は無責任……西川貴教さん、新型コロナ流行下のイベント興行に対する政府対応に疑問
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=85&from=diary&id=5986811
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